時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

大アジア主義の危険性-モンゴル帝国復興計画?

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。第二次世界大戦前夜における所謂「大東亜共栄圏」構想は、アジア地域の国々の独立と共存共栄を謳った構想であり、その思想的背景として大アジア主義がありました。大アジア主義思想は、逆に言いますと、すべてのキリスト教的要素、並びに、西欧文明的要素を廃してゆこうとする思想であり、「植民地解放」をスローガンとした日本軍のアジア諸国における行動を正当化させる思想であったとも言えるでしょう。アジア諸国を植民地としていた諸国が、キリスト教国であったからです(ただし、イルミナティーによる国権の掌握が、しばしば起こりましたように、西欧諸国の政府権力の中枢にあった勢力はキリスト教的勢力とは限りません)。
 
アジア主義の原点とも言える思想、すなわち、神智学を唱えたブラヴァツキー女史が、表面的には、キリスト教・ヨーロッパ世界の人物でありながら、先祖を辿りますとアジア・モンゴル系であったことが、この思想が、反キリスト教・反ヨーロッパ文明思想である理由となっているのでしょう。そして、この点が、イルミナティーの真の目的が人類の非文明化・動物化・家畜化である点と関連しているようです。
 
歴史上において、キリスト教世界とヨーロッパ文明の破壊を通して、人類の非文明化・動物化・家畜化を試みた人物がありました。それは、チンギス・ハンです。ブラヴァツキー女史の旧姓がハンHahnであることに示されますように、ブラヴァツキー女史が神智学を唱えた真の目的は、モンゴル帝国の復興にあったのではないか、と推測することができるのです。女史が特にインドやエジプトに拘ったのも、ムガール帝国(1526-1858年)が、チンギス・カンの次男チャガタイの後裔と称するモンゴル帝国の後身であり、エジプトのマムルーク朝の第6代スルタンが、サイード・バラカ・ハーン al-Malik al-Sa‘īd Baraka Khānであったように、モンゴル帝国の影響の強い王朝であったからであると考えることができるでしょう。
 
すなわち、北アフリカからアジア地域にかけてのオカルティズムや神秘主義などの古代思想を巧みに利用しながら、ブラヴァツキー女史(イルミナティー)は、反キリスト教・反ヨーロッパ文明思想を弘めることで、キリスト教精神やヨーロッパ文明の持つ博愛主義、人権尊重の精神、法治主義をも、知らず知らずのうちに否定させ、モンゴル帝国の復興に適した精神的土壌を醸成しようとしたのではないか、と推測することができるのです。神性政治的・人治的な独裁者による支配体制の確立が、その究極の目的であったと考えることができるのです。
 
この目的の達成のために日本国にも、イルミナティーは謀略を仕掛けてきていたはずであり、大アジア主義の拡大にともなって、極端なまでの「天皇礼賛」が唱えられるようになったのは偶然ではないのでしょう(多くの日本人も、騙されたのでは…)。神智会の機関誌名が悪魔を意味する「ルシファー」であることは、大アジア主義の結果としての第二次世界大戦の悲劇的状況を暗示していたのかもしれません。

 
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(続く)