改元を“時代の変わり目”として悪用するイルミナティー
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーの常套手段が、バビロニア系ユダヤ教の「蛇鷹輪の思想」にもとづく王室・皇室を乗っ取ることである問題は、我が国におきましては、改元問題と直結してまいります。それは、明治維新という「イルミナティー革命(「黒いユダヤ人」系の最下層民を王や天皇に据える秘かなる易姓革命)」が起こったことにより、イルミナティーの戦略にもとづき、古来の我が国の元号の改元が、“天皇”の代替わりのみに行われるようになってしまったようであるからです。
本年3月11日付本ブログで扱いましたように、パキスタン出身のラビ・バトラRavi Batra(1943年6月27日 - )という著名な哲学者がおります。「ラビ」という名から、氏は「黒いユダヤ人」である可能性が高く、おそらくは、イルミナティーのメンバーであって、かつ、神智学協会のメンバーなのでしょう。バトラ氏は、インド出身の哲学者・社会改革者のプラブハット・ランジャン・サーカー氏Prabhat Ranjan Sarkar(1921年5月21日 - 1990年10月21日)の唱える進歩的活用理論(PROUT:PROgressive Utilization Theory =プラウト理論)を応用発展させ、独自の階級循環論を歴史の発展過程を説明するのに適用しているそうです。すなわち、社会は戦士(Warrior)、知識人(Intellectual)、資本家(Acquirer)が順別に支配することによって歴史が展開されるというものであり、こうした時代の循環理論におきまして、“時代の変わり目”は重要であると言うことができます。
“時代の変わり目”の問題を踏まえますと、代始改元は、イルミナティーにとりまして、都合がよい制度であることになります。「新しい持代」と喧伝することで、イルミナティーにとって都合のよい“時代の雰囲気”に人々を誘導することができるからです。では、どのような“時代の雰囲気”が、イルミナティーにとりまして都合がよいのでしょうか。
ブラヴァツキー女史(イルミナティー)の神智学の究極の目的が、反キリスト教・反ヨーロッパ文明思想を弘めることで、キリスト教精神やヨーロッパ文明の持つ博愛主義、人権尊重の精神、法治主義をも、知らず知らずのうちに否定させ、野蛮なモンゴル帝国の復興に適した精神的土壌を醸成することで、神性政治的・人治的な独裁者による支配体制を確立することにあることは、昨日、本ブログにて指摘いたしました。
こうした点を踏まえますと、「イルミナティー革命」によって新たにつくられた“皇室”の代替わりに行われる代始改元制度は、イルミナティーにとりまして恰好の制度であることになります。代替わり毎に、徐々に、日本人の非文明化・動物化・家畜化を進めることができるからです。
このように考えますと、今般の代始改元は、凶事である可能性を指摘することができます。従いまして、やはり、現在の所謂“皇室”の廃止問題は議論すべきであり、仮に、元号制度を我が国の伝統として守りたいのであるのでしたならば、古来、翔瑞災異改元や辛酉改元など、代替わり以外の理由による改元もありましたので、他の理由による改元を行えるよう法整備する必要があるのかもしれません。
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(続く)