時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

幕末に蘇った戦国時代の悪夢

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「幕末に、薩長連合によって、天皇の血筋が断絶せられ、明治天皇が立てられた。孝明天皇ラストエンペラーである。すなわち、19世紀後半に古代の天皇の血筋は断絶している」可能性につきましては、新聞・雑誌・マスコメディア、そして、歴史の教科書の記述を含め、史学界でも、ほとんど扱われることはないにもかかわらず、ネット上などでは信憑性を以って語られ、この説に蓋然性を認める人は少なくはありません。すなわち、多くの人々が、頭からは否定し得ない説であると考えているわけです。

 なぜ、多くの人々があり得ると考えるに至っているのか、その理由は、先日、本ブログで指摘いたしました世界支配志向勢力の存在を、直感的、あるいは、敏感に感じ取っているからかもしれません。一国家内部の単独の事件として考えますとあり得ないことでも、この世界支配志向勢力が関わっていると想定しますと、むしろ、歴史が明快に説明できてしまうのです。

では、幕末におきまして、この世界支配志向勢力は、どのように活動したと推測されるのでしょうか。表面上は、ペリーの来航にはじまる欧米諸国政府による開国要求という形でその姿を現しております。もちろん、このような要求は、欧米諸国と日本間の交易による国家の利益の相互追求といった面もありましたので、日本にとりましても、必ずしも全面的に否定するべきことではありませんでした。しかしながら、その水面下におきましては、16世紀の戦国時代から続いている世界支配志向勢力が、日本への開国要求を、先述いたしました10の基本戦略にもとづいて、日本国を傀儡化させるチャンスと捉えた面も否定はできないのです。

芥川龍之介の短編小説に「煙草と悪魔」という作品があり、「悪魔なるものは、天主教の伴天連か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たさうである」という一文があります。世界支配志向勢力の思想的背景は、「Protocols of Zion 」の問題として後述いたしますが、10の基本戦略からも窺えるこの勢力の考え方は、悪魔思想に近いようなのです。幕末におきましても、大きな混乱をもたらすことになったこのような悪魔的な思想が、すでに戦国時代には入ってきていたとする認識を、芥川龍之介を含む明治の人々は持っていたのでしょう。
 
朝廷が「尊王攘夷」を唱えた理由は、朝廷は、この世界支配志向勢力が、10の基本戦略に沿ってその勢力を欧米諸国で温存、否、拡大していることを知っており、そのターゲットとなることを予感してのことにあったかもしれません。すなわち、おそらくは、本能寺の変とその後の混乱を踏まえてのことであり、西欧諸国=イエズス会=国家的危機という構図が想起されたからなのでしょう。戦国時代の悪夢が、再び、蘇ったことになります。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


(続く)