時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

消えた日本人街の謎:東インド会社と結びついていた在外邦人

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日、本ブログにて述べましたように、世界支配志向勢力は、次なる世界支配の戦略として、東インド会社を利用したと推測することができますが、この動きのなかに在外日本人の問題が関わってまいります。
 
戦国時代とは、朱印船貿易が知られますように、日本人が海外に向かった時代でもありました。その多くがキリシタンであったことから、江戸幕府によって鎖国・禁教令が発布されますと、キリシタン、実質的には、イエズス会カトリックの日本人信者たちの多くは、日本を離れ、東南アジア地域を中心として海外に移住し、日本人街を形成することになりました。江戸時代の日本は、凡そ250年という長い鎖国時代に入ったため、日本史におきましては、江戸時代における在外邦人の活動や歴史は、すっぽり視野から外れてしまっている、と言うことができます。
 
ここに、幕末史をめぐる大きな謎があるようなのです。そのことを示すのが、1623年発生したアンボイナ事件です。アンボイナ事件とは、オランダ領アンボイナ島におきまして、当地のイギリス人(東インド会社社員)が、オランダに対してオランダ要塞の奪取の陰謀を企てたとして、オランダ側によって虐殺された事件であり、英蘭戦争の原因の一つとも見なされています。この時、オランダ側によって陰謀の咎で捕縛・処罰された人々のなかに、日本人9名とポルトガル人1名が加わっておりました。ポルトガル人も加わっていたことを考えますと、東インド会社内の隠れイエズス会問題が関わっているようにも推測できますが、1623年の時点で、日本人と東インド会社との間には、密接な結びつきがあったと推測されます。
 
何れにいたしましても、日本史では、19世紀、幕末となって、日本は、オランダ以外の西洋諸国との間に関わりを持つようになったと理解されがちですが、海の向こうでは、東インド会社を通して、在外邦人と西洋諸国との長い接触があったのです。
 
では、このような在外邦人は、幕末の頃には、どのようになっていたのでしょうか。アンボイナ事件以降、東インド会社と関係していた日本人、並びに、その子孫たちの行方はつゆと知れず、最大の謎として残っているのです。在外邦人に関する史料があるとすれば、英国、または、オランダということになりましょう。
 
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(続く)