時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

NHKの「大河ドラマ」の隠れた主題とは?(1月5日)

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日、世界支配志向勢力の採る6つの戦略について述べましたが、映画、ドラマなどのストーリー展開を通して、無意識のうちに、マスコミが国民を洗脳してゆくという戦略も、世界支配志向勢力の常套手段のようです。
 
この点、気にかかりましたことは、NHKの本年の「大河ドラマ」です。幕末に大老井伊直輔を輩出することになる井伊家の女性城主について扱っているようなのですが、目にする機会があった予告編のような宣伝から推測しますと、「大河ドラマ」の製作者たちには、隠れた意図があるように思えます。このような推察は、時代考証に大きな誤りがあり、主人公が、目つき鋭き‘おかっぱ’頭の女性である点から導き出されます。
 
古代・中世におきまして、‘おかっぱ’は「稚児髪」と称され、男女を問わずに幼年期の髪型です。予告編に登場するような年齢の女性が、‘おかっぱ’であることは不可解であり、当時、一般的に、あのような年齢で‘おかっぱ’であることは、所謂‘よろしからぬ職業の女性’であることをも意味したそうです。
 
では、NHKは、なぜ、歴史考証を無視して、あのような髪型の女性を登場させたのでしょうか。昨今、女性の活躍が叫ばれていますが、女性にも様々なタイプがあります。この点は、‘NHKの本年の大河ドラマが描きたい’理想の女性’とは、野性的な女性なのではないかと疑うのです。
 
12月26日付ブログにて述べましたように、世界支配志向勢力と近い関係にあるイエズス会創始者、イグナティウス・ロヨラは、キリストではなく、黒マリア、すなわち、非文明世界の女性の崇拝者でありました。それでは、非文明世界の女性ではあれば純粋素朴であるのかと言いますとそうではなく、逆に、極めて残忍で野蛮な女性たちも少なくないのです。

例えば”アマゾネス”といいますと、ヘロドトスの『歴史』に登場する女性戦士であるアマゾネスと、南米大陸の‘おかっぱ’を特徴とする裸族のアマゾネスが思い浮かばれます。ヘロドトスの『歴史』に登場するアマゾネスには、「人を殺害したことがなければ、結婚することができない」、という残忍で奇妙な風習があったそうです。人を犠牲にしてゆくことに対して、まったく良心の呵責も感じない野性的な人々が、アマゾネスなのです。

イエズス会士のミケランジェロが描いた「キリストの再臨」の壁画が、エデンの園の東を出立する前のアダムとイヴの姿と同じように裸体であり、南米のアマゾネスとの関連におきまして、興味深い共通性が見受けられます。南米大陸にやってきたイエズス会士は、隠れた黒マリア信仰であったがゆえに、アマゾネスを理想視し、キリスト教では許容され得ない、その残虐性をも容認してしまったのかもしれません。イエズス会の問題は、キリスト教が否定している残忍性を、信仰、否、裏信仰を根拠に容認していることころにあります。それは、おそらく、「理性よりも野蛮を重視する」という裏信仰であったとも推測されます(このことと関連してか、イエズス会は、南米大陸のアマゾネスに対しては奴隷貿易反対活動を行って保護しておりますが、その一方で、日本人女性に対しましては、「色が白い」ことから高く売れるとして奴隷として売りとばしています)。
 
イエズス会の目的が、人類の野蛮化であることは、本ブログにおきまして、再三にわたって指摘しております。仮に、NHKの本年の大河ドラマの隠れた主題が野蛮性の賛美であるとすれば、世界支配志向勢力の本年の活動方針は、”アマゾネスのような残忍な女性を活躍させる”というものであるのかもしれません。

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(続く)