時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ゲットーの内外をめぐる野蛮世界と文明世界の倒置現象

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ここ数日にわたり、ネオ・ユダヤ人の問題を扱ってまいりましたが、‘世界ゲットー連盟’問題の本質を探るために、本日は、ゲットーの性格の変化について考えてみることにしましょう。
 
先祖伝来のユダヤ教徒は、むしろ帝国主義や非文明とは反対の志向の持ち主でありました。先祖伝来のユダヤ人の歴史を辿ってみますと、『旧約聖書』の「出エジプト記」や「民数記」に記述されておりますように、ヘブライ人(ユダヤ人)とは、紀元前13・12世紀頃の出来事と考えられる出エジプトの際に、モーゼがシナイ山の山頂で、神様から頂いた「モーゼの十戒」を守る民のことです。この際、ユダヤ教徒として極めて綿密な部族の組織化(ヘブライ12(13)支部族の成立)がなされ、各々の部族には役割分担が取り決められるとともに、宗教儀式につきましても厳密な様式化がなされることにもなりました。「モーゼの十戒」が刻まれた石盤は、ソロモンの神殿の「契約の箱」のなかに収められ、すべてのユダヤ教徒の信仰の中心として崇められることになったのです。
 
殺人、窃盗、偽証などを明確に禁じた「モーゼの十戒」は、紀元前13・12世紀という時代にありまして、極めて文明的な教義です。キリスト教が文明的であるのも、ユダヤ教に起源を発しているがゆえのことです。先祖伝来のユダヤ人は、その戒律を守る少数の集団として、その組織や儀式を維持し、コミュニティーをつくってきたと言うことができるでしょう。このため、16世紀頃からヨーロッパの都市部につくられるようになった‘ゲットー’は、当初は、ユダヤ人たちが、自発的に集住するようになった結果であるそうです。
 
 すなわち、彼らの戒律からして‘野蛮’に映る外の世界を疎い、今日でいうなれば、‘引き籠り’状態を好む内向的・閉鎖的な性質であったがために、ゲットーをつくってユダヤ教徒の世界を守ってきたのです。ところが、‘ネオ・ユダヤ人’の出現によりまして、逆に、ゲットーの外の世界のキリスト教世界の側が、‘野蛮なネオ・ユダヤ人’から、文明世界を守るために、ゲットーがつくられるようになったようなのです。ゲットーの内と外とをめぐる認識におきまして、野蛮世界と文明世界の倒置現象が起こった、と言えるでしょう。

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(続く)