時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

選民である条件を失っている‘ネオ・ユダヤ人’

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。世界各地のユダヤ人組織を乗っ取ることで‘国際ゲットー連盟’をつくった‘ネオ・ユダヤ人’たちは、世界支配のために、その「選民思想」という看板までをも乗っ取り、「選民だから、他の民族を支配してもよい」という、都合のよい奇妙な口実まで用意したようです。
 
ヘブライ史の観点から、そもそもユダヤ教徒が‘神から選ばれし民’である理由は、1)先祖伝来のユダヤ教徒の多くが、殺人、窃盗、偽証などを明確に禁じている「モーゼの十戒」という極めて文明的な教義を遵守している点、そして、2)その十戒の源流には世界最古の文明であって、人類史上はじめて「法の正義」をその社会に実現させたシュメール文明があり、ユダヤ教徒の多くがそのシュメール人の子孫であった点にあることは先述いたしました。世界最古の法典である「ウル・ナンム法典」は、神(超越者)の視座から編纂された法典を以って殺傷罪などの罪とその罪に対する刑罰(量刑)などを定めており、成文化された法秩序を備えた社会を、人類史上、はじめて構築していたのです(もっとも、社会的な禁忌や行動規範は慣習法として世界各地で存在していたかもしれない…)。
 
ユダヤ教徒といいますと、とかく、厳しい宗教儀礼上の生活慣習や食習慣に関心が集まりがちですが、かつてはソロモン神殿の奥深く、「契約の箱」に収められ、最高法典とされた「モーゼの十戒」を遵守することで教団としての纏まりを維持していたユダヤ教徒の、こうした”神(超越者)の正義”と分かちがたく結びついた文明的・精神的な側面にむしろ注目すべきでしょう。
 
それでは、文明化されていたユダヤ教徒に、民族や異教徒たちが漸次に加わり、”ユダヤ人”の名の下で「選民思想」までをも我が物のように扱うようになりますと、いったいどのようなことが起こったでしょうか。

隠れイスラム教徒、モンゴル系の人々、イエズス会との繋がる様々な民族、さらには王侯貴族や盗賊や海賊をも含むようになった‘ネオ・ユダヤ人’たちには、「モーゼの十戒」を守らないどころか、その逆に、平気で犯罪行為を行うような人々も多くおります。また、神(法)の前の平等や法の正義に対しても無理解な人々が多いのです。”ユダヤ人”の変質を考慮しますと、選民思想を前面に押し出している「シオンの議定書」は、その十戒への無理解や無頓着、そして、支配欲の強さや傲慢さから、‘ネオ・ユダヤ人’によって書かれたと推測せざるを得ません。すなわち、世界支配を目指す‘ネオ・ユダヤ人’たちによる選民思想の悪用が始まったのです。

 
しかしながら、‘ユダヤ人’の仮面を被ったこのような‘ネオ・ユダヤ人’たちに、選民を主張するだけの資格があるのか、はなはだ疑問なところです。なぜならば、‘神から選ばれし民’である理由と条件は、神から与えられた「モーゼの十戒」の遵守にあるのですから、「モーゼの十戒」を守らない人々は、もはや選民である資格・条件を失っているのです。‘ネオ・ユダヤ人’たちは、むしろ、神様を裏切った人々となりましょう。選民である条件を失っている‘ネオ・ユダヤ人’の「選民だから、他の民族を支配してもよい」という主張は、通用しないのです。
 
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(続く)