時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

『蝿の王The Load of the Flies』に描かれている今日の世界情勢

  本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。人間社会の争いは、どのような‘生き方’が良い生き方であるのか、という価値観や世界観と密接に結びついている場合があります。
 

本ブログにて、進化論の観点から、「野獣型人類 beast human」と「神様志向型人類god(goddess)-minded human」とが、この地球上に併存している問題は、最後の審判の日と関連してくることになる、と再三にわたり述べてまいりましたが、この問題こそ、ここ数日にわたって扱ってまいりましたイスラム教の問題の核心でもあります。それは、人類の未来に対する理想像が、「野獣型人類 beast human」と「神様志向型人類god(goddess)-minded human」との間で大きく異なっており、異教徒の殺人を容認するイスラム教の教義は、「野獣型人類 beast human」にとりましては、受容され得る教義であるからです。

 

このことは、地球という空間が一つである以上、地球上に実現すべき理想の世界をめぐって、「野獣型人類 beast human」と「神様志向型人類god(goddess)-minded human」との間で、熾烈な争いが起こる可能性を示唆しております。『聖書』の「ダニエル書」や「暴露録(黙示録)Revelation」の「アルマゲドン」は、まさに、この対立を言っているのですが、この点に関しまして、今日は、興味深い小説を紹介したいと思います。

 
西暦1945年、第二次世界大戦末期に、ウィリアム・ゴールディングによって著わされた『蝿の王The Load of the Flies』という英国の小説があります。この小説は、飛行機事故によって太平洋の小さな無人島に漂着した数十人の少年達によって繰り広げられた世界観争いがテーマです。世界観が対極にある二人の少年の鋭い対立と葛藤が描かれています。
 
少年達による選挙によって民主的にリーダーに選出されたラルフは、その理想を、飛行機事故以前に自らが生きていた社会、すなわち、文明・文化・教養・ヒューマニティを基盤とする快適で、洗練された文明社会に置き、大人達のいない無人島のコミュニティにおいても、生活習慣を含めて、いかに文化・文明・教養・ヒューマニティを維持するのかに腐心します。大人達がいないのですから、理想郷の維持には限界があり、そこで、島の近くを航行する船舶に自分達の存在を発見してもらえるよう、狼煙の火を絶やさないという掟を造ります。
 
しかしながら、育ちがよく、洗練されたラルフを快く思わない粗野な少年、ジャックは、ラルフの政策に同意せず、その仲間たちとともに、ラルフのコミュニティから離れ、勝手に自らの勢力圏をつくり、文明社会への帰還を考えずに、その理想を原始時代に戻ることに置きます。文明社会へ帰還しますと、ジャックは、自らのグループの支配者ではなくなるわけですので、ジャックにとりましては、この島における原始的な生活の方が、都合がよかったのです。そして、フェースペインティングを施して踊る催眠作用のあるような奇妙な野卑なダンスパーティーに他の少年たちを勧誘することによって、ジャックは自らの勢力を拡大させてゆくのです。小さな島は、一つしかないことから、この島におけるラルフとジャックの争いは、壮絶なものとなります。

ラルフとジャックの争いがどうなるのか、続きは、明日書きますが、二人の争いの争点こそ、まさに、現在、世界が抱えている問題でもあるのです。 

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(続く)