時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ロスチャイルド家はモンゴル系ネオ・ユダヤ人?

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。今日は、メケレンブルグの問題について捕捉させていただきます。
 
 メケレンブルグという聞き慣れないドイツ北部の一地方とネオ・ユダヤ勢力との関係につきまして、昨日指摘させていただきましたが、メケレンブルグとネオ・ユダヤ人が結びつくようになったことには、歴史的理由があるようです。北ドイツ、ユトレヒト半島の付け根に位置し、バルト海に面するメケレンブルグは、紀元前に遡る古代にスラブ系の人々によって建国され、近世に至るまではドイツで最も貧しい地域であるとされております。その歴史を辿りますと、この地域の特徴が見えてくるような気がいたします。
 
13世紀、チンギス・ハンによって建てられた元帝国は西征を試み、その子のバトゥは、1243年に東欧地域にキプチャク・ハン国を建国いたします。ポーランド、シレジア、スェーデンにも侵入し、メクレンブルグ領内、もしくは、その近郊にまで、その影響力を及ぼしていたと考えることができるのです。このことは、モンゴル系の人々が、この地域に侵出してきていた可能性を示しております。「メクレンブルグ」とは、「大都」という意味なそうです。”大都”と言えば、モンゴル帝国の首都が「大都(現在の北京)」が思い浮かびます。
 
憶測の域を出ませんが、出自不明のロスチャイルド家の元の家名が、モンゴル系であることを示唆する「カーン」であることは、ロスチャイルド家は、13世紀にメクレンブルグに侵出してきたモンゴル系の人々の子孫である可能性も捨てきれません。

メクレンブルグは、おそらくは神聖ローマ帝国を構成する領邦国家群において、最もモンゴルとの繋がりが強い公国であり、ドイツ連邦を構成する一ヵ国としての立場を利用して、まずもって、ドイツ国内において、その勢力の拡大に着手したのではないか、と考えることができるのです。メケレンブルグは、地理的にも、リューベックハンブルグに近いことから、金融・商業活動を展開するために、ハンザ同盟も利用できたことでしょう。

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(続く)