ヨーロッパに残されたユーラシア・コネクション
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。メクレンブルグという北ドイツの一地方とモンゴルとの関連は、今日では、ハンバーグとして良く知られるタルタルステーキの発祥の地が、メクレンブルグに近いハンブルグであることによっても示唆されます。
ハンブルグは、ハンザ同盟の中心地であるとともに、世界で第二番目に古い銀行であるベレンバーク商業銀行Berenberg Bankが、1590年にこの地に設立されています。ドイツにおける商業・金融の中心都市でもありました。「ハンブルグ」という都市名の語源は、不明とされてはいるものの、ハンブルグの労働者の食事であったタルタルステーキの「タルタル」が、タタール、即ち、遊牧系騎馬民族を意味することにおいて、この地域におけるキプチャク・ハン国の影響が窺えます。後に「ハンブルグ」と称されるようになる商業都市は、9世紀、シャルルマーニュの時代には既に建設されておりましたが、あるいは、13世紀に、一旦、キプチャク・ハン国側によって一時的に占領されたか、あるいは、ハン国出身の商人等が居住地としていた歴史があるのかもしれません。このことによりまして、「ハンブルグ」という都市名が生じたのではないか、と推測することができるのです。
このように考えますと、特に、北ドイツ地域に残存していたモンゴル系の人々は、イスラム教徒と同様にキリスト教共同体に一般市民として居住することができなかったがゆえに、やがて形ばかりユダヤ教に改宗して、ヨーロッパの諸都市のゲットーに流入し、‘ネオ・ユダヤ人’となった可能性を指摘することができます。
ロシア革命を引き起こしたレーニンは、ロスチャイルド家による支援を受けていたといいます。前にも指摘したように、そのレーニンは、カルムイック人というモンゴル系の民族の出自です。メクレンブルグ出身のシュリーマンが、ロシアとの交易と銀行業で成功を収めたのも、このような広域的な‘ネオ・ユダヤ人’の‘ユーラシア・コネクション’を想定することにおいてよく説明することができます。
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(続く)