時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ネオ・ユダヤ人の”東方政策”と日本国

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ヴィクトリア女王の実父がロスチャイルド家の人であるという説(ネイサン・ロスチャイルド説)は、既に半ば常識化していることを昨今知ったのですが、英王室とロスチャイルド家の結びつきは、謎に満ちた幕末史を説明するうえで役に立つかもしれません。
 
その理由は、ロスチャイルド家が、非ヨーロッパ系の出自であることにあります。本ブログにて再三にわたって指摘しておりますように、北ドイツ地域には、商取引や何らかの理由で残留した異教徒や異民族の人々が居住していたようです。キリスト教共同体に一般市民として居住することができなかったがゆえに、ハザール人と同じように形ばかりユダヤ教に改宗して、ヨーロッパの諸都市のゲットーに流入し、‘ネオ・ユダヤ人’となったと考えることができます。元の家名が「カーン」であるロスチャイルド家は、その典型であると言うことができるのです。
 
このように考えますと、ロスチャイルド家の視線が、はるかユーラシア大陸の東方に向いていたのも不思議ではありません。すなわち、英国の王室・政財界の背後にあって、ロスチャイルド家は、イスラム帝国モンゴル帝国が成し得なかった世界帝国を実現させることを目指したのではないか、と考えることができるのです。
 
そこで、まず、ロシアに注目してみることにしましょう。近世以降、ロシアは東進を続け、1806年には、ロシア人フォストフ及びダビドフによる千島・樺太侵攻事件が発生しております。さらに、1805年頃からは、モスクワからウラジオストック間を僅か7日間で結ぶシベリア鉄道の敷設にも着手しております。
 
ロシア地域は、キプチャク・ハン国に支配された時代もあったことから、当然、モンゴル系の住民も多く、また、ネオ・ユダヤ人が多く居住する地域でもありました。ロスチャイルド家は、まずもって、このようなネオ・ユダヤ人を組織し、利用しようとしたと考えることができます。メクレンブルグ出身のシュリーマンが、ロシアとの交易と銀行業で成功を収めたのも、このような‘ネオ・ユダヤ人’の‘モンゴル・コネクション’を想定することにおいてよく説明することができます。
 
幕末、1865年にシュリーマンは、日本を訪問しております。モンゴルによる二度の元寇にあいながら、一度も征服されることのなかった日本は、ネオ・ユダヤ人たちの目には、どのように映っていたのでしょうか。
 
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(続く)