時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ネオ・ユダヤ人とムガール帝国

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ジョージⅢ世の時代以降、英国の王室・政財界の背後にあって英国の国策をも左右するに至ったネオ・ユダヤ人組織、特に、ロスチャイルド家の出自を考えますと、表面上は、英国という一国家による世界進出として理解される傾向にあるアジア地域の‘植民地化’の背景にも、ロスチャイルド家の世界戦略が見えてきます。今日は、インド亜大陸に注目してみましょう。
 
大航海時代が幕を開けた頃、インド亜大陸には、1526年にムガール帝国が建ちます。王朝名の「ムガル」は、モンゴルを意味するペルシア語の「ムグール」が、ムガル(Mughal)に転訛したものです。つまり、ムガール帝国とは、「モンゴル人の帝国」という意味なのです。その創始者バーブルは中央アジア出身で、前王朝のティムール朝の王族ウマル・シャイフを父、チンギス・ハーンの二男チャガタイを祖とするモグーリスターン・ハン家のユーヌス・ハーンの娘クトルグ・ニガール・ハーヌムを母とするテュルク・モンゴル系の遊牧貴族であったといいます。
 
1498年にポルトガル人のバスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着してインド航路が開かれますと、ムガール帝国には、イエズス会士達も進出してきていたようです。しかし、1588年のアルマダの海戦によってポルトガル・スペインといった旧教勢力が衰え、1600年に、新教国の英国にも東インド会社が設立されますと、これらのイエズス会士たちは、各国の東インド会社に浸透していったようです。このことは、イエズス会がつくった交易ルートを東インド会社が引き継いだことを意味したはずです。英国がインド航路の中間拠点としたアフリカ大陸最南端のヨハネスブルグは、もとはイエズス会などが奴隷貿易の取引市場としていた土地柄です。すなわち、東インド会社は、ヨーロッパ⇒ヨハネスブルグインド亜大陸を結ぶインド交易ルートを開拓したイエズス会の後継組織と言うことができるのです。
 
そして、本ブログで再三にわたって指摘しておりますように、イエズス会とネオ・ユダヤ組織は、近い関係にあります。英国のインド亜大陸への進出は、英国東インド会社を通して行われておりました。しかしながら、ヴィクトリア朝時代、1858年にムガール帝国の皇帝が廃位され、東インド会社も解散させられると共に、1877年に、ヴィクトリア女王は、英領インド帝国の皇帝に即位するのです。

その背景には、英王室と密接な繋がりを持つようになったロスチャイルド家の姿、あるいは、ネオ・ユダヤ人の広域ネットワークが、見え隠れしているような気がいたします。同家は、その祖先に遡ってムガール帝国との間に血縁等のコネクションがあり、既に、インド支配の御膳立てが出来ていたとも推測されます。すなわち、ネオ・ユダヤ人組織内の世界征服計画が変更され、英東インド会社による間接支配から、自らの”身内”であるヴィクトリア女王の即位を機に、王室による直接支配へと切り替えられたと推測することができるのです。
 
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(続く)