時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日露戦争の背後にあった親ネオ・ユダヤと反ネオ・ユダヤとの対立

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ロシア皇帝ニコライⅡ世のネオ・ユダヤ人組織への反感は、日本史とも関連してくるようです。
 
1891年、ニコライⅡ世は、皇太子時代に、日本を訪れています。明治天皇と会見したニコライ皇太子は、明治天皇について「まるで、ヨーロッパのユダヤ人のようである」という感想をもらしたそうです。これが、どのような意味であったのかは不明ですが、その後、津田巡査によるニコライ皇太子暗殺事件、すなわち、大津事件が発生することになります。大津事件がその原因となったと言われてはおりますが、帰国したニコライⅡ世は、‘日本嫌い’となりました。この日本嫌いが、1904年から1905年にかけての日露戦争の遠因となったとも言われております。憶測の域を出ませんが、ここで、一つの仮説を提起することができます。それは、日ロの対立の背景には、親ユダヤ勢力と反ユダヤ勢力との対立関係があったのではないか、という説です。
 
明治以降の日本の‘皇室’は、何故か、ユダヤ人との間に親交があったことはよく知られております。日露戦争におきましても、シフをはじめとしたユダヤ人社会から日本へ多額の軍資金の提供があり、日本側の戦勝に大いに影響があったことは、よく知られたことです。このことから、反ネオ・ユダヤ組織がニコライⅡ世を支持し、親ネオ・ユダヤ組織が、日本を支援したと推測することができるのです。
 
ネオ・ユダヤ組織は、下層の人々を共産党に組織し、さらに、「シオンの議定書」の記述そのままに日本を”鉄砲玉”として利用し、ニコライⅡ世ならびに、反ネオ・ユダヤ組織を追い詰めていった、ということになります。

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(続く)