時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日露戦争とネオ・ユダヤ勢力の誤算

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。日本の‘近代皇室’、ならびに、政府組織の上層部にネオ・ユダヤ組織は大きな影響を持つようになっていたと推測されますが、日本国政府、ならびに、日本国民のすべてが、ネオ・ユダヤ組織と親しく、その指揮命令系統下に入っていたのか、と言えば、必ずしもそうではなかったようです。
 
日露戦争を前にして、時の内閣総理大臣伊藤博文は、むしろニコライⅡ世側と同盟関係を結ぼうと努力したようですし、大津事件が起こりますと、日本国民の多くが、ニコライ皇太子に同情し、ニコライ皇太子の帰国に際しては、そのロシア船舶の甲板は、お見舞いの品で溢れかえっていたそうです。また、日露戦争には勝利したとはいえ、ポーツマス条約は、ロシア側に配慮した内容ともなっておりました。、

日露戦争日本海海戦で功績のあった秋山好古・真之兄弟につきましても、その後、真之が精神を病み好古は反戦主義者となるなど、何かの狭間で苦しんでいた様子が窺えます(あるいは、日本国が、ネオ・ユダヤ勢力の「鉄砲玉」として利用されていることに気付いたのかもしれません)。
 
ネオ・ユダヤ勢力の特徴として、非文明世界礼賛と共産主義との結びつきを挙げることができます。このことから、ネオ・ユダヤ勢力に対しては、警戒する人々も多くあったのではないか、と推測することができるのです。そして、ネオ・ユダヤ勢力と反ネオ・ユダヤ勢力との対立は、国別ではない可能性も指摘することができます。すなわち、世界各国におきまして、ネオ・ユダヤ勢力と反ネオ・ユダヤ勢力との対立は、政府レベルならびに国民レベルにおいて内部対立の様相を呈しており、どちらが、内政・外交において主導権を握ることができるのか、といった問題を生じさせていたのではないか、と推測することができるのです。

そして、何よりもネオ・ユダヤ人組織の誤算となったのは、全世界において、日本国の対ロ勝利が独立の機運を高めたことにあったのではないでしょうか。

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(続く)