時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

バビロニアのユダヤ教徒コミュニティー

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ヘロデ王朝は、西暦44年に滅亡し、ローマ領となります。その後、西暦135年頃から、ユダヤ人の離散diasporaがはじまりますと、このイドメア系のネオ・ユダヤ人を含むようになったユダヤ教徒ヘブライ12(13)支族・イドメア系ネオ・ユダヤ人)は、具体的に何処へ移動し、どのような歴史を辿るようになったのでしょうか。
 
この点は、近代ユダヤ教徒とモンゴルを含む遊牧民族との密接な繋がりの謎を解く鍵となるかもしれません。ユダヤ教のラビであるスタイン・ザルツStain Salts氏の『The Essential Talmud』によりますと、その多くがペルシャ湾沿岸地域、すなわち、バビロニアに移動したようなのです。そして、この地にユダヤ教徒のコミュニティーをつくっていたようなのです。
 
ここで、注目されるのは、ガブリエル・ローナイ氏の『The Tartar Khan’sEnglishman』によって明らかとなった、13世紀、モンゴル側の外交全権代表となっていた謎の英国人の経歴です。この英国人は、ジョン失地王が、1213年にモロッコの王に派遣した外交使節団に見えるロバートMaster Robertという名のロンドンのカトリック教会の下級聖職者のことであったようです。ロバートは、その後、『マグナカルタ』の制定にかかわる諸侯の乱に加わって英国から永久追放処分を受けることになり、贖罪のための十字軍に加わって、中近東のアクレやエジプトのダミエッタに滞在します。しかし、賭博の咎で、この地をも追放されたロバートは、何故かカルディア、すなわち、バビロニアに向かっているのです。ロバートにつきましては、聖オーバンス教会の年代記編者によりますと、「with a face like a Jewユダヤ人のような顔をしていた)」とされております。
 
ロバートの経歴をめぐるこれらの点から推測されてくることは、ロバートはカトリックに改宗した元ユダヤ教徒であって、バビロニアユダヤ教徒のコミュニティーがあることを知っていて、バビロニアに向かったのではないか、ということです。

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(続く)