時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”ユダヤ人”の二面性の起源

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。近代ユダヤ人の性格をめぐりましては、「流浪の民であるから、国家意識、ならびに、いかにして国家を統治すべきであるのか、といった観点に欠けている」とする批判や非難をしばしば耳にすることがあります。しかしながら、『聖書』、特に、「旧約聖書」をよく読んでみますと、「ヘブライ12支族(13支族)」からなる先祖伝来のユダヤ人は、むしろ定住志向や国家意識の強い民族であると言うことができます。
 
その理由は、出エジプトを行った「ヘブライ12支族(13支族)」は、その目的地をエルサレムに定めているからです。「旧約聖書」にも描写されておりますように、エルサレムは、当時にありまして既に城壁都市、都市国家でありました。このことは、「ヘブライ12支族(13支族)」が、都市生活を望む人々であったことを明確に示しております。
 
ヘブライ12支族(13支族)」の始祖とも言えるアブラハムは、シュメールのウルの出身ですが、そのウルは、紀元前2~3千年という時代にあって、精緻な都市計画のもとに上下水道を完備させた都市国家でした。世界最古の法典である「ウル・ナンム法典」はこの都市国家において制定されており、「ヘブライ12支族(13支族)」こそ、世界最古の都市国家を建設した人々の子孫の一派であったかもしれないのです。「エルサレム」の語源は、「ウル・サラム(ウルの平和)」であるようです。世界最古の都市国家の国民であったという誇るべき歴史は、近代ユダヤ人のなかにも、エルサレムの大神殿の名残りである「嘆きの壁」に対し強い憧憬をいだく人々が多いことにも表れています。「嘆きの壁」とは、失われた都市文明の象徴であったのでしょう。
 
では、なぜ、現在、その逆に、近代ユダヤ人に対して、流浪の民というイメージが定着したのかといいますと、その第一歩は、先日述べましたように、イドメア人という流浪の民のアラブ系の人々が、紀元前1世紀にネオ・ユダヤ人として入ってきたことにあるようです。両者のメンタリティーは、定住・国家志向と流浪・移動志向といったように、大きな違いがあります。ローマ帝国を後ろ盾に、異邦人、ヘロデ王によるハヘロデ朝が成立すると、結局、両者ともに「ユダヤ人」として認識されてしまうことになったのです。そして、1世紀に、先祖伝来のユダヤ人たちの多くがキリスト教徒として分離してゆきますと、残ったユダヤ教徒の中では、俄然、イドメア人の人口比率が高くなります。こうして、イドメア人の遊牧民メンタリティーを”ユダヤ人”のメンタリティーとする認識が人々の間に浸透していったと考えられるのです。

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(続く)