時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

タタールから古代文明思想を略取しようとしたモンゴル

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日、本ブログにて、チンギス・ハンの名の「テムジン」は、イエス・キリストの原型であり、超古代思想の預言で「最後の審判の日」に再来するとされる救世主の「タムジTammuz」という名に由来し、モンゴルは、おそらくは‘ユダヤ人ネットワーク’からこの超古代思想に関する知識を得ていた可能性について指摘いたしました。
 
この点に関しまして、「テムジン」という名は、もとは、タタール人の族長の名であった点にも、注目する必要があるかもしれません。3月14日付本ブログにて述べましたように、ガブリエル・ローナイ氏の著書のタイトルが『The Tartar Khan’s Englishman』であることに例示されますように、モンゴル人は、征服した相手の民族名の「タタールTartar」を自称しておりました。民族名のみならず、チンギス・ハーンの「テムジン」という名もまた、タタール人の族長の名です。チンギスの父が、タタールを征服した際に、この名を生まれたばかりのチンギスに付けたのです。
 
そういたしますと、モンゴルよりも前に、タタール人が、離散したメソポタミア文明の分派の民族であるか、あるいは、同じく、メソポタミアを起源とするユダヤ人のネットワークから古代思想に関する知識を得ていたと推測することができます。
 
タタール人とは、鉄器文化の担い手としても知られており、古来、我が国の製鉄が「蹈鞴(たたら)」と称されている理由でもあり、初代天皇である神武天皇の皇后の名も「媛たたら」という名であることも、我が国とタタール、あるいは、シュメールとの関連を示唆させます。「0・1・2・6の法則」が用いられている辛酉革命説や日本書紀紀年法などから、我が国にも、古代文明の思想が入っていることは、確かであると言うことができますので、タタール人と古代文明との接点の問題は、我が国と超古代文明との関連を解き明かすための一つの糸口となるかもしれません。
 
我が国と古代文明との関連を踏まえますと、古代思想の預言で、「最後の審判の日」に再来する救世主とされる「タムジTammuz」という名は、あるいは人称固有名詞ではなく、日本語で「たましいTamashi」、すなわち、魂spiritを意味するのかもしれません。今日は、エプリルフールです。皆様、「タムジTammuz魂説」をお信じになるでしょうか。

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(続く)