時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「国王は国民の下僕」か「国民は国王の下僕」か

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。『聖書』「新約聖書」は、「The Book of the generation of Jesus Christ, the son of David, theson of Abrahamダビデの子であって、アブラハムの子であるイエス・キリストの系譜)」というマタイ伝The Book of Mathewの文章から始まります。イエス・キリストの母のマリアはレビ族ですし、その父であるヨセフはダヴィデ王の子孫であり、ダビディク・ラインthe Davidic Lineと称される王家の系譜に連なることを、「新約聖書」は強調していることとなります。このことから、イエスは、正統ユダヤ教の指導者としての立場に加えて、ヘブライ王国の統治者、国王としての正統性をも持ちあわせていたことになります。
 
この点におきまして、宗教の問題、すなわち、正統ユダヤ教の教理の如何の問題に深く関わる洗礼者ヨハネ以上に、世俗的権力の問題、すなわち、王権の如何の問題に関わるイエスは、ヘロデ王にとりまして、より一層、排除したいライバルと認識されていたと推測することができます。イエス・キリストが出生した年、この年に生まれた男子が、将来、ヘロデ王を王位から降ろすとする預言を信じ、王位に固執したヘロデ王が、この年に出生した男子の新生児を皆殺しにしたとする伝承は、「国王は国民の下僕」という「ヘブライ12(13)支部族」のこれまでの王権の在り方が180度変わり、「国民は国王の下僕」という思想が登場してきたことを意味しております。国民の生命を守るのが国王の義務であるにもかかわらず、王位さえ安泰であれば、国民の生命はどうなってもかまわないという残虐で野蛮な思想がヘロデ王によって齎されたと言えるでしょう。
 
後に、キリスト教政治倫理思想を基礎として、「国王は国民の下僕」という思想が普及するようになることは、イエスが、正統性ある王位を主張できる立場にあって、宗教問題のみならず、俗世の政治権力の如何の問題をも人々に提起しながらキリスト教を成立させていったことに起因していると推測することができるかもしれません。

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(続く)