時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘抜け道だらけ’のイスラム教

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。イスラム教の懸念すべき影響の問題の一つは、古来より、中近東から西アジア地域にかけての地域、すなわち、現在、イスラム教が広がっている地域には、‘退廃文化’とも称すべき奇妙な文化があることです。
 
イスラム教徒といいますと、飲酒を避けて祈祷に励む男性やチャドルなどで顔や体全体をすっぽりと覆った女性の姿が想起されるのですが、十字軍の時代に、十字軍に参加したキリスト教徒が中近東を訪れて驚いたことは、この地に広がっていた‘退廃文化’であったそうです。ガブリエル・ローナイ氏の『The Tartar Khan’s Englishman』によりますと、男性は怠惰で、賭博に熱中したり高利貸となったり、女性は所謂‘ふしだら’であり、キリスト教徒をも堕落させてゆき、例のロバートもまた、賭博によって多額の借金を負い、その罪によって十字軍騎士団から追放されております。
 
ラマダン、禁酒、祈祷の時間厳守など、戒律が厳しいとされるイスラム教徒の間に、なぜ、このような‘退廃文化’があるのか、それは、もとから、この地域にあった‘退廃文化’をイスラム教が容認しているからなのではないか、と推測することができます。
 
イスラム教では、罪を犯しても、メッカを巡礼さえすれば許されるとされています。このため、イスラム教徒には、罪を犯してもメッカにさえ巡礼すれば許されてしまう、すなわち、‘抜け道’が用意されていることになるのです。‘お酒がだめなら、麻薬’といった考えも、抜け道の一つであると言えるでしょう。
 
かくて、イスラム教には、古来の‘退廃文化’が内在するようになったと考えることができます。15世紀、教皇マクシミリアンは、免罪符を発売し、キリスト教におきましても‘抜け道’をつくりはじめます。ちょうど同じ時期に、教皇マクシミリアンはかのヴェネチア神聖同盟を結成しており、イエズス会もこの時期に創設されています。このようなカトリックの変質には、イスラム教の影響があったという推論は、成り立つ余地があるかもしれません。

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(続く)