時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イスラム教では女性はなぜチャドルを被るのか

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。イスラム教は、女性には、外出する際には頭からすっぽりチャドルを纏ることを定めており、チャドルはイスラム女性の代名詞とも言えます。この風習は、どのような理由によって齎されたのかを推理してみること、そして、チャドルのもたらす問題について考えてみることは、イスラム教の問題を解決する上で、役に立つかもしれません。
 
まず、今日は、一般論、そして、もっともらしい説である、所謂‘ふしだら’な女性に対する戒めとする説について考えてみましょう。『聖書』「旧約聖書」にも書き記されておりますように、現在、イスラム教が広がっている地域には、古来より、所謂‘ふしだら’な女性が多いという問題があります。ベリーダンスもその一例ですが、生来、これらの地域の女性には、知性や理性を磨き、手に職を付けて社会の一員として生きるよりも、巧みなお化粧、髪型、ダンスなどで男性の歓心を買うことで、自らのみが他者よりも社会的に優位な地位、経済力のある地位を得てゆくことを良しとする習性があるようなのです。
 
この地域の男性には、もとより極端な男性至上主義者が多く、女性も対等に社会の一員であるという視点に欠けており、女性を自らにのみ仕え、自らの子孫を残すための付属物としてのみ見なす傾向にありますので、男性側も、女性に対する価値基準を、お化粧、髪型、ダンスの良し悪しに置くわけです(この点、古代ギリシャ文化圏、キリスト教文化圏、日本などはその逆で、頭脳明晰で、品質が高くセンスのよい織物などの工芸品をつくれるような女性に価値を置いています)。
 
ヘロデ王がこのようなイスラム的な男性の典型であり、ヘロデ王は、こうした自らの価値観を、当時、最も豊富にユダヤ教についての知識を持ち、知性のあった洗礼者ヨハネの命と、サロメのダンスとを等価と見做し、ダンスの褒美としてヨハネの首をサロメに与えることによって、示したと言えるでしょう。
 
しかしながら、男性の歓心を買うことを生来の習性とする女性に対して貞節を求めることは難しかったようです。朝鮮半島にも、同じく男性の歓心を買うことを生来の習性とする女性が多く、家に閉じ込める慣習ができていたように、マホメットもまた、女性を家に閉じ込め、外出する際にはチャドルを被らせ、他の男性の歓心を買うことをできなくさせるという方法を思いついたのかもしれません。これは、魅惑的な女性を良しとしながら、その結果、不貞を働く女性の問題が生じ、この問題を解決するために、今度は女性を強制的に人前から隠すのですから、一種の悪循環と言えるかもしれません。

この地域の男性は、宗教的‘戒め’という理由によって、この方法を強制的に女性に対して用いることができるようになりますので、こぞってイスラム教に改宗したのかもしれません。チャドルによって、イスラム教男性信者が増えてしまったということになります(ただし、イスラム教お得意の‘抜け道’が女性にも用意されていたようです)。
 
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(続く)