時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

フランス大統領選挙をめぐる暴動に見る「イスラム教型」の危険

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「イスラム教型」の人間類型と「キリスト教型」の人間類型の違いは、昨今のフランス大統領選挙をめぐる状況にもよく表れているようです。
 
昨日、フランスにて大統領選挙が実施され、イスラム教徒の移民の受け入れに反対しているルペン候補が、決戦投票に進むことになりました。この状況に対して、イスラム教移民を中心とした移民賛成・推進派が、ルペン候補の当選を妨害すべくフランス各地で暴動を起こしているとのことです。イスラム教徒の移民たちに暴動を起こさないためには、イスラム教徒移民の主張を受け入れるべき、すなわち、ルペン氏に投票しないほうがよい、とまで言い出す所謂‘識者’もいるようです。
 
また、ボルドーで発生した暴動にも注目すべきであるかもしれません。暴動が発生いたしますと、そこに居合わせた人々、もちろん一般のフランス人も多く居合わせたと考えられますが、これらの人々は、‘逃げ場’を求めて、近くの商店やレストランに入ろうとしたそうなのです。しかし、アラブ系のレストランは、ドアを閉じて逃げ惑う人々を締め出したそうです。

そもそも、ヨーロッパ各国にイスラム教徒の移民の増加したことの大きな原因は、経済的な理由に加えて、内戦などが続いて逃げ場を求めてきた難民を保護したことにあります。すなわち、ヒューマニティーの観点から、喩え、宗教が違っても緊急避難所として受け入れたのです。ところが、イスラム教徒側は、暴動が発生して緊急避難所を求めたフランス人に対してさえも、シャットアウトしているのです。
 
これらの現象から、「イスラム教型」の人々をめぐりまして、以下の点が認識されてきます。
 
1)「イスラム教型」の人々は、言論ではなく暴力によって、政治的主張を通そうとする傾向にある。
2)「イスラム教型」の人々は、基本的なヒューマニティーにも欠けている。
 
以上の点は、「イスラム教型」の人々が、国内に増加することの危険性を人々に示してくれているような気がいたします。「イスラム教型」の人々が国民の大勢を占めるようになりますと、民主主義・自由主義的選挙は形骸化して意味をなさなくなり、言論の自由も失われますし、よきフランスの気風は失われ、ヒューマニティーに欠けた人々による殺伐とした情景が日常となってしまうことでしょう。今般のフランス大統領選挙によって、フランスは、その未来を左右する重要な局面に来ているにようです。少なからず、暴力や脅しには屈せず、国民一人一人が自らの自由意思による政治的決断として、一票を投じることが重要でしょう。

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(続く)