時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ザビエルの来日を教科書が「キリスト教の伝来」とするのは間違え

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。1549年のイエズス会士、フランシスコ・ザビエルの来日は、「キリスト教の伝来」として教科書などにおいて扱われております。しかしながら、以下の理由から、ザビエルの来日に対する教科書のこのような記述には問題があり、教科書を訂正する必要がありるように思えます。
 
その理由とは、ザビエルによる「キリスト教の伝来」は、『聖書』の正確な邦訳などを通しての純粋なキリスト教の伝来ではなく、イエズス会というカトリック関係の外部組織の解釈を通しての、いわば捻じ曲げられた“キリスト教”の伝来であったことです。2016年12月14日付本ブログにおきまして述べましたように、イエズス会とは、イグナティウス・ロヨラ、ならびに、フランシスコ・ザビエルなどの修道士たちによって、1534年にパリで結成されたカトリック擁護の私的組織です。ロヨラが元軍人であったこともあり、法王への絶対服従をその要綱として掲げるなど、イエズス会組織は、軍隊組織に近いものとなっておりました。
 
軍隊的組織の欠点の一つは、指揮命令系統において頂点にある人物への絶対服従が優先され、その人物に対する善悪の判断が欠けてしまう点です。当時のカトリックは、免罪符の発行や事実上の妻帯など、腐敗の極みに達しておりました。イエズス会の要綱に従えば、こうした法王への絶対服従が優先されますので、イエズス会は、むしろ暴力的手段を以って、信者に対して法王や教皇庁の腐敗には目をつぶることを強要するような組織であったことになります。また、ロヨラは黒マリアの信仰者であり、イエズス会士は、非文明世界礼賛者でもありました。
 
芥川龍之介が、その短編小説、『煙草と悪魔」にて、「悪魔なるものは、天主教の伴天連か(恐らくは、フランシス上人)がはるばる日本へつれて来たさうである」と記述しておりますように、イエズス会キリスト教は、本来のキリスト教の教えからはかけ離れた‘悪魔崇拝’であり、その悪魔崇拝の伝来を、教科書は「キリスト教の伝来」として位置付けてしまっていることになるのです。
 
喩えていいますと、仮に、いずれかの国で創価学会を通しての仏教伝来があり、その国の教科書が、これを「仏教伝来」として扱っているに等しいことになります。創価学会は、正式な仏教の宗派ではなく、日蓮宗に属する門徒衆の私的な集まりです。信仰内容も悪魔崇拝であるようであり、また、その信仰の対象は、仏陀ではなく、実際には北朝鮮出身の池田大作という人物です。教祖(池田)への絶対服従という善悪の判断の欠けた組織形態も、イエズス会に近いと言うことができます。
 
このように考えますと、フランシスコ・ザビエルの来日を「キリスト教の伝来」とする教科書の記述は、訂正すべきなのではないでしょうか。

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(続く)