時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

天皇が向き合うべきは日本の神々

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨日の報道に拠りますと、今上天皇は、祭祀に専念する天皇像に不満を懐き、政府に対し、同意見を述べた有識者会議の保守系メンバーの排除を暗に求めたとされています。
 
宮内庁幹部の「一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている」というこの件に関する発言からしますと、その真意は、祭祀以外の様々な活動、特に、国民と接する機会の多い活動を行いたいということにあるようです。

しかしながら、当該保守系メンバーの意見は、日本人の伝統的天皇観にもとづいており、この伝統的天皇観からいたしますと、天皇が向くべきは対象は、国民ではなく、天照大神をはじめとする八百万の神々のみのはずです。天皇と国民が向き合いますと、天皇は神に背を向ける構図となります。また、天皇も、神々に対しては国民共々謙る立場ですので、一人一人の国民と向き合うという天皇像にも違和感があります。

斎宮として皇太神宮(伊勢神宮)に下った独身の皇女は、神宮内の玉石の上に正座して、一心に天照大神に祈りを捧げます。明治維新までは、歴代天皇も御所から外へ出ることは皆無でありました。すなわち、日本人を代表して、神々への祈りを捧げてくださるのが天皇であり、その役割ゆえに、日本人は天皇を大事にしてきたのです。換言いたしますと、神々への祈りに専念するということは、日常生活に忙しい一般国民には難しいことから、天皇さんにその役割を担っていただきましょう、ということなのです。
 
このように考えますと、伝統的天皇観を述べただけの有識者会議のメンバーに対する今上天皇の今般の不満は、‘天皇天皇たる所以’を否定していることになり、明治維新における世界支配志向勢力による‘天皇すり替え事件説’の信憑性を高める結果となっていると言えるでしょう。
 
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(続く)