時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

幕末に薩摩と長州を繋いだ「裏イエズス会」ルート

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ザビエルが日本国内に「裏イエズス会」とも称すべき国際組織を組織し、江戸時代を通してその組織が存続していたことは、倒幕の中心となった薩摩藩の鹿児島と長州藩の山口のいずれもが、以下の理由から、日本において布教活動を行った宣教師たちのなかでも、特に、ザビエルとの関連の深い土地柄であることによって、示唆されてきます。
 
その理由は、鹿児島と山口の両地域に滞在し、布教活動を行ったのが、ザビエル、並びにザビエルに随行していたコスメ・デ・トーレスCosme de Torres, 1510 - 1570102日)とフアン・フェルナンデス(スペイン語: Juan Fernández 1526年? - 1567626日)の凡そ3人のみであることです。
 
イタリア人宣教師のニェッキ・ソルディ・オルガンティノ(Organtino GnecchiSoldo/ GnecchiSoldi, 1533 - 1609422日)は、天草志岐上陸し、同じくイタリア人宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(AlessandroValignano / Valignani1539215 - 1606120日)は、長崎県南島原口之津港(くちのつこう)に上陸しており、その布教活動において鹿児島や山口は関係がありません。
 
ポルトガル人宣教師のルイス・フロイス(葡: Luís Fróis [luˈiʃ frɔjʃ]1532 - 159778日(慶長2524日))は横瀬浦(現在の長崎県西海市北部の港)に上陸し、同じくポルトガル人宣教師のガスパル・ヴィレラ(Gaspar Vilela、 大永5年(1525年)? - 元亀3年(1572年))は、イエズス会インド副管区長ヌーネス・バレト(João Nunes Barreto)とともに豊後府内(現大分県大分市)に上陸しており、その布教活動において、鹿児島や山口は関係がないのです。
 
では、イエズス会における日本での布教の第一陣とも言えるザビエルたち3人には、どのような特徴があるのでしょうか。まず、フェルナンデスは、スペイン・コルドバ出身であることは注目されます。ゴルドバは、イスラム教国の後ウマイヤ朝の首都であった場所であり、フェルナンデスには、イスラム教との繋がりが示唆されます。トーレスについては、同氏に感化されてイエズス会に入会し、山口にて布教活動を行ったルイス・デ・アルメイダLuís de Almeida 1525? - 158310月)という人物がおります。その背景には、注目する必要があるかもしれません。アルメイダは、元は商人であり、1525年ごろリスボンユダヤ教からカトリックに改宗したコンベルソの家庭に生まれております。
 
すなわち、ザビエルの周辺には、イスラム勢力とユダヤ勢力の存在が見え隠れしていると言うことができるのです。そして、本ブログにおきまして、再三にわたって指摘しておりますように、幕末史を動かし、世界支配を狙って今日でも世界情勢に大きな影響を与えている世界支配志向勢力は、まさに、「裏イエズス会」の流れを引く親イスラム、親ユダヤ勢力です。幕末において倒幕活動に動きだしたのが、薩摩藩の鹿児島と長州藩の山口であることは、両地域が特にザビエルとの関連が深い点を考えますと、偶然とは言えないように思えます。すなわち、薩摩と長州を繋いだ「裏イエズス会」ルートが推定されるのです。

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(続く)