時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「裏イエズス会」・奴隷貿易・世界征服

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ザビエルを中心とした「裏イエズス会」の活動目的の問題は、16世紀末、織豊時代において認識されていたようです。
 
当時、ポルトガル商人によって日本人が奴隷として海外に売られている事例が発覚して問題とはなっていたのですが、豊臣秀吉南蛮貿易の実利を重視していたため、この時点では大規模な迫害は行われなかったようです。しかし、1587725日にキリシタン禁教令、すなわち、宣教師追放命令が秀吉によって出され、159725日(慶長元年1219日)には、秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者の処刑が行われることになりました。
 
その契機となったのが、文禄5年(1596年)に土佐国にスペイン(スペイン・ポルトガル同君連合)のガレオン船、サン=フェリペ号(恐らくは、奴隷貿易船)が漂着し、その乗組員の発言が大問題となったサン=フェリペ号事件です。その乗組員の問題の発言とは、「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、而して後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり」という趣旨の内容であっようです。秀吉はスペイン・ポルトガル同君連合の総督に「日本では遭難者を救助する」と通告しており、当時の法律でも船荷と海難者の所持品は返還することが定められていたにもかかわらず、この事件の沙汰として、「スペイン人たちは海賊であり、ペルー、メキシコ(ノビスパニア)、フィリピンを武力制圧したように日本でもそれを行うため、測量に来たに違いない。このことは都にいる3名のポルトガル人ほか数名に聞いた」として、積荷と船員の所持品をすべてを没収し、航海日誌などの書類をすべて取り上げて破棄したのです。
 
こうしてキリシタン弾圧へと向かってゆくわけですが、秀吉のイエズス会への恐怖心と厳しい対応は、「裏イエズス会」が、奴隷貿易を行うとともに、世界征服を目指して、その被征服対象国内の国民の組織化に如何に長けていたのかを示していると言うことができます。このような行動パターンからしますと、日本国内に組織されていた親ザビエル組織、「裏イエズス会」の下部組織は、江戸時代およそ300年にわたり密かに存続し続けていたと推測することができるのです。

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(続く)