フランシスコ派の清貧主義は『聖書』の誤解釈にもとづく
今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。フランシスコ修道会やイエズス会のフランシスコ派が唱える清貧主義は、‘イエス・キリストは清貧だった’という主張に基づいているようなのですが、そもそも、この解釈自体が間違っていると言うことができます。
『聖書』The Bibleをよく読んでみますと、イエスは以下の点から清貧ではありません。
①東方の3賢人は黄金、香油、没薬をイエスに贈っており、これらは、極めて高価でありました。(Mathew, Chap.2, 11:they presented unto him gifts; gold, frankincense and myrrh)
②イエスが弟子の家で食事をしていると、一人の婦人がイエスの頭に大変高価な軟膏を惜しげもなく注ぎます。弟子たちは、軟膏を売れば貧者に施せるとイエスを非難するのですが、イエスは、貧しい人々に思いは寄せているけれども、ケースバイケースであると弟子たちに説きます(Mathew, Chap.26, 6-13)。
③イエスが、磔刑に処される際に、ローマの兵士たちは、イエスが着ていたお洋服をくじ引きによって分け合います。このことは、イエスが何枚もお洋服を着ていたことを示しております(Mathew, Chap.27, 35:And they crucified him, and parted his garments, casting lots: that it might be fulfilled which was spoken by the prophet, They parted my garments among them, and upon my vesture did they cast lots.)。
他にも、「カナの婚礼」など、イエスが清貧主義ではなかった事例を、『聖書』において見つけることはできます。従いまして、フランシスコ修道会やイエズス会内の親フランシスコ派の清貧主義は、『聖書』の誤解釈に基づいていると考えることができるのです。
一般信者が、『聖書』を読むことができなかった時代におきましては、一般信者は、フランシスコ修道会やイエズス会内の親フランシスコ派の宣教師の唱える清貧主義を、『聖書』にもとづいていると憶測して、信じたことでしょう。逆に言いますと、『聖書』を一般信者も読めるようになりますと、かれらの誤解釈は、明るみ出てしまうことにもなります。
このように考えますと、グーテンベルグの活版印刷の発明による『聖書』の普及は、大きな意味を持ったはずです。カトリックという教会組織を通さず、直接、『聖書』の教えに従うというキリスト教の新たな信仰形態、すなわち、プロテスタントの成立は、『聖書』の普及を契機としております。清貧主義と対極をなすプロテスタントの勤勉・勤労主義は、一般信者自らが『聖書』を読むことによって、キリスト教の誤解釈や曲解を廃し、正しい解釈を追求した結果であると考えることができるのです。
イエズス会内の親フランシスコ派と対立していたヴァリニャーノは、1590年6月21日に、日本に印刷機をはじめてもたらしています。このことは、『聖書』の正しい解釈問題に、ヴァリニャーノが大きな関心を払っており、日本におけるキリスト教の布教活動を、『聖書』の正しい解釈に基づく布教と成すことを望んでいたことを示していると言えるでしょう。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
(続く)