ザビエルの思想は人類の非文明化・動物化か
今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。フランシスコ・ザビエルの思想、すなわち、布教活動の真の目的を解明するために、ザビエルがフランシスコ会に近い考えを持っていたことに注目してみましょう。
――全住民が信者で、驚くほど立派な町ゴアに着いてから、もう四ヵ月以上になります。フランシスコ会の修道者たちが大勢いる修道院があり、立派な司教座聖堂もあり、また参事会司祭が大勢おりますし、そのほかたくさんの教会があります。こんな遠隔の地で、こんなにたくさんの未信者たちのなかで、キリストの御名がこれほどまでに栄えているのを見て、主なる神に感謝せざるをえません。(原文は『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』Ⅰ、138頁――。
まっさきに、フランシスコ会について触れておりますように、ザビエルはフランシスコ会に親近感を持っていたようです。そこで、フランシスコ会の思想、すなわち、アッシジの聖フランチェスコの思想の特徴に注目してみますと、以下の点に問題があるようです。
――フランチェスコは貧しさを礼賛することにかけては徹底しており、物質的な豊かさのみならず、精神的ないし知的な豊かささえも認めなかった――
聖フランチェスコのこのような考え方を実践した場合、人類の非文明化、動物化が起こることになります。お洋服も着ず、知性も理性も持たないとなりますと、人類は、動物に等しい存在となってしまうからです。そして、動物の生存本能に”徳”を認める考え方は、ユダヤ教の分派である神秘主義とも共通していると言えるかもしれません。
イエズス会の創始者であるイグナティウス・ロヨラが、黒マリア信仰者であり、非文明世界の礼賛者であることは、昨年の12月25日付ブログなどにて述べました。ザビエルも同じような考えを持っており、こうした思想は、ザビエルの布教活動の真の目的が、人類の非文明化・動物化であった可能性を示唆していると言うことができます。
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(続く)