時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘世界支配’のキーワードは「マラーノ」か?

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ザビエルによる日本布教の問題を考えるにあたり、まず、ユダヤ教からカトリックへ改宗した「マラーノ」と称される人々が、どのような人々であったのかを調べておく必要があるようです。

昨日述べましたように、ザビエルがポルトガルジョアンⅢ世のもとで働くようになったのは、マラーノ対策のためであり、そして、ザビエルの活動と目的、すなわち、「裏イエズス会」とも称すべきイエズス会内の親フランシスコ派の活動とその目的は、「マラーノ」をキーワードの一つとすることで見えてくる可能性があるのです。Wikipediaなどによりますと、マラーノの形成過程は、以下の通りです。
 
1492年にポルトガルの隣国スペイン(カスティーリャ)で、ユダヤ人追放令が出され、少なくとも10万人のユダヤ人が陸路でポルトガルに逃れて来ます。ジョア2世は、わずかな例外を除き、8ヶ月の滞在しか許さず、それを超えて滞在する者は奴隷の身分に落としました。マヌエルⅠ世が即位すると、これらのユダヤ人は奴隷身分から解放されましたが、カトリック両王の王女イサベルを妃として迎えるに当たって、スペイン側はポルトガル領内でのユダヤ教徒追放を求め、1496年にマヌエルもこれに応じ、ポルトガルでもキリスト教以外の宗教儀式は違法となり、ユダヤ人に対しては追放令が出されました。
 
しかし、商業、金融業で主要な役割を果たし、また医師などの知的専門職や職人となっている者も多いユダヤ人を追放することは、ポルトガルの経済上大損失であることを認識していたマヌエルは、彼らを国内に引き留めるために、形式的な強制改宗を断行します。それは、1497319日をもってポルトガル国内に在住する全ユダヤ教徒キリスト教に改宗したことにして、内心での信仰の調査は20年間猶予するというもので、この期間はさらに延長され、マヌエルの治世下では結局行われませんでした。
 
 そもそも、イベリア半島にかくも多くの「ユダヤ人」が居住していた理由は、謎と言えます。イベリア半島は、7世紀以降、レコンキスタまでは、イスラム世界にあったことに注目しますと、イベリア半島の「ユダヤ人」は、アラブ系の隠れイスラム教徒をも含んでいた可能性を指摘することができます。本年3月18日付本ブログで述べましたように、ユダヤ教のラビであるスタイン・ザルツStain Salts氏の『The Essential Talmud』によりますと、ディアスポラ以降、多の「ユダヤ人」がペルシャ湾沿岸地域、すなわち、バビロニアに移動したようです。そして、バグダットに移動した「ユダヤ人」の‘ユダヤ教’は、イスラム教と融合したそうです。この点から、イスラム化していたイベリア半島に居住していた「ユダヤ人」には、もとよりバグダッド系が多く、また、レコンキスタによって、イベリア半島が徐々にキリスト教国化してゆく過程で、イベリア半島イスラム教徒は、この地で生き残るために、キリスト教に改宗するよりも、「ユダヤ教」に改宗したのではないか、と推測することができます。
 
 このように考えますと、ポルトガルのマラーノの中には、イスラム教系の「偽ユダヤ人」も多く含まれていたという複雑な問題も見えてくることになります。
 
いずれにいたしましても、猶予期間の設定は、マラーノたちは、いずれ新天地を求めて、ポルトガルを脱出しなければならないことを意味しておりました。大航海時代の幕開けとマラーノの脱出とが機を一にしている点に注目されたのが、『インド・ユダヤ人の光と闇』であり、このような視点には、やはり注目する必要があるようです。「マラーノ」をキーワードに、政治・宗教・経済・思想などの様々な側面から大航海時代に再検証を加えることは、真実の近現代史、そして、今日、グローバリズムとして世界支配を狙っているのは、どのような勢力であるのかを知る上で、重要であると考えることができるのです。

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(続く)