時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「黒いユダヤ人」とイスラム教の関係

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。アッシジフランチェスコ会と「黒いユダヤ人」とを繋ぐ接点として、イスラム教の存在を指摘することができるかもしれません。
 
アッシジのフランチェスコの名前の由来となった南フランスのプロヴァンス地方の特徴として、黒マリア信仰が盛んな点とイベリア半島と同様にイスラム勢力の影響を受け易い地域であった点は、6月13日付本ブログにて述べました。
 
『インド・ユダヤ人の光と闇』によりますと、8世紀から1492年に至るまでのイスラム支配期のスペインには、ユダヤ人の文化的中心、最大のコロニーがあり、「アラブ文化と言われるものの何分の一かは、ユダヤ文化と言ってもいい」状態にあったそうです(『インド・ユダヤ人の光と闇』、248頁)。イベリア半島では、ユダヤ教イスラム教との融合が進んでいた可能性があるのです。
 
このことは、ポルトガルにおける改宗ユダヤ人を指す「マラーノ」が、スペイン語で「豚」を意味していることによっても補われます(同著、249頁)。イスラム教の特徴である豚を食することをタブーとする慣習は、イベリア半島では、ユダヤ教徒の慣習ともなっていたようなのです。
 
そして、712年にゴルドバを陥落させたイスラム帝国が、720年にはピレネー山脈を超えてナルボンヌ以北にまで至り、ナルボンヌが、アッシジのフランチェスコの時代、1112世紀には、重要なユダヤ人の聖書解釈学の本拠地となっていたことには、注目すべきであるかもしれません。この地で行われていた聖書解釈学は、イスラム教の影響を受けたものであった可能性があるのです。
 
イスラム教とは、『コーラン』の解釈者である「イスラム指導者」が、常にイスラム教徒の‘まとめ役’であるように、解釈がすべてであるような宗教です。今日、清貧主義と反知性主義を唱えて暴力主義に走っているイスラム教過激派の思想も、『コーラン』の解釈の如何によって生じていると言えるでしょう。このようなイスラム教の特徴を考えますと、ナルボンヌにおけるユダヤ教の解釈学によって生じた新たなユダヤ思想は、今日のイスラム教過激派の思想に近かったのではないか、と推測することができます。このナルボンヌの思想が、プロヴァンス経由で、フランチェスコに影響を与えていたかもしれないのです。
 
イスラム教が「黒いユダヤ人」を差別しなかったことから、「黒いユダヤ人」がイスラム教と近い関係にあることは先日述べました。このことから、8世紀以降、多くの「黒いユダヤ人」たちが、特に、イスラム圏におけるユダヤ人最大のコロニーのあったイベリア半島に移住したという仮説は成り立つ余地があります。
 
アッシジのフランチェスコの母親が「黒いユダヤ人」であった可能性のみならず、イエズス会創始者であるイグナティウス・ロヨラフランシスコ・ザビエルも、「黒いユダヤ人」自身、もしくは、「黒いユダヤ人」と極めて近い関係にあったのではないか、と推測することができるのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
(続く)