時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「黒いユダヤ人」とエリザベスⅠ世との繋がり

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。13世紀、モンゴル側の外交官となった‘英国人’であるロバート氏Master Robertが、中近東、西アジア、インドなどからイベリア半島を経由して英国のロンドンに移住してきた「黒いユダヤ人」であった可能性が極めて高いことは、英国史について考えるに際して見落としてはならない点である気がいたします。
 
その理由として、まず、第一に、チューダー朝のエリザベスⅠ世(在位:1588~1603年)の母であるアン・ブーリンロンドン市長の曾孫であった点を挙げることができます。アン・ブーリンの父は、トーマス・ブーリンThomas.Boleyn(1470~1539年)という外交官です。ブーリン家は、「サフォーク州サリーの一族」であるとされていますが、実際には出自不明であるそうです。トーマスの祖父で、ロンドンで商業を営んでいたジョアフリーがロンドン市長を勤め、薔薇戦争の功績によって「サーsir」の称号を与えられたことが、ブーリン家が政界・宮廷へと進出してゆく契機となったようです。
 
1)ブーリン家は出自が不明である点、2)ブーリン家はロンドン商人であった点、3)アン・ブーリンの容姿について記した当時の証言記録から、アン・ブーリンの肌の色はダークであった点、4)トーマスが複数の言語に堪能であり外交官(通訳)であった点は、すべて、ロバート氏と通じています。
 
このことから、アン・ブーリンもまた「黒いユダヤ人」であった可能性が高いのです。エリザベスⅠ世の時代、1588年にアルマダの海戦があり、ポルトガルやスペインに替って、英国が世界に進出してゆくことになるわけですが、「黒いユダヤ人」勢力が、エリザベスⅠ世の即位を利用して、その目的達成のための媒体を、ポルトガルやスペインから英国へと乗り換えたと考えますと、英国の近現代史の別の側面が見えてくるのではないでしょうか。

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(続く)