時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「黒いユダヤ人」とモンゴル帝国との繋がり

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。アドルフ・ヒトラーの戦略が、モンゴルの戦略に近いことを踏まえますと、「黒ユダヤ人」問題につきましては、モンゴルとの接点にむしろ注目する必要があるかもしれません。
 
ガブリエル・ローナイ氏が、『The Tartar Khan’sEnglishman』において、歴史の闇からその存在を掘り起こされたモンゴル側に仕えた謎の外交官・マスター・ロバート氏Master Robertにつきましては、その氏姓が不明であるという謎があります。「マスターMaster」とは、聖職者に対する尊称であることに示されますように、ロバート氏は氏姓を持たない出自不明者なのです。
 
しかし、ロバートにつきましては、以下の点から、その正体を明らかとすることができそうです。
 
1)本年3月18日付本ブログにて述べましたように、聖オーバンス教会の年代記編者によりますと、「with a face like a Jewユダヤ人のような顔をしていた)」とされており、「ユダヤ人」のようであったという証言がある。
2)ロバート氏は商業都市のロンドン出身であることから、もとは商人であったと推測される。『インド・ユダヤ人の光と闇』によると、イベリア半島では‘改宗ユダヤ人’たちは、‘商人(homens negócio)’とも称されたように、その多くは交易、特に、外国との交易に携わっていた。
3)聖オーバンス教会の年代記編者が、「a small dark man背が低く肌の色が浅黒い男性」とも記録していることから、あるいはマスター・ロバート氏Master Robertは、イベリア半島の出身の「黒いユダヤ人」であったとも推測される。6月17日付本ブログで述べたように、8世紀以降、多くの「黒いユダヤ人」たちが、特に、イスラム圏におけるユダヤ人最大のコロニーのあったイベリア半島に移住したと考えられ、ロバート氏の家系も、こうしてイベリア半島に移住してきた「黒いユダヤ人」であったという仮説は成り立つ余地がある。
4)ロバート氏がイベリア半島の「黒いユダヤ人」であったと仮定すると、イスラム(モロッコ)の言語を使うことができたことから、ジョン王によって通訳としてモロッコに派遣された使節団に選ばれたと考えることができる。
5)ロバート氏は、イスラム側(モロッコ)から厚遇されている。イスラム圏は、「黒いユダヤ人」に好意的であることから、モロッコ王による厚遇も、ロバート氏が「黒ユダヤ人」であった可能性を示す。
6)聖地エルサレムを追放されたロバートはバグダットに向かっており、そのバグダッドは、当時最大規模の大きなユダヤ人のセンターであった。
 
これらの6点を考えあわせますと、ロバート氏とは、中近東、西アジア、インドなどから父祖の代にイベリア半島に移住してきた「黒いユダヤ人」であり、英国との交易活動を通して英国ロンドンに渡り、この地でカトリックに改宗して聖職者となった人物であると推測することができるのです。
 
このように、マスター・ロバート氏Master Robertの正体が明らかとなってまいりますと、「黒いユダヤ人」とモンゴルとの歴史的な不気味な繋がりは、近現代史の真相を考える上で重要であると言えるでしょう。

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(続く)