時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

メンデルスゾーンに見る「黒いユダヤ人」問題

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。6月29日付本ブログにて、「「白いユダヤ人」たちはヨーロッパ文化に馴染み、学術・法曹界・文筆・音楽・政治・芸術といった様々な分野において活躍し、ヨーロッパ・英国の一般社会において、そう大きな対立関係を生じさせることはありませんでした。ハイネChristian Johann Heinrich Heine,1797-1856年)やメンデルスゾーンJakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 180923 - 1847114日)がユダヤ人であったことは、驚きに値しないと言えるでしょう」と述べました。ところが、その後、メンデルスゾーンにつきましてwikipediaにて調べましたところ、「ユダヤ人の家系であったメンデルスゾーン家は言われなき迫害を受けることが多く、それはキリスト教への改宗後もほとんど変わらなかった」そうです。その原因は、メンデルスゾーン家はベルリンのドイツ系「白いユダヤ人」の出自ながらも、メンデルスゾーン自身がハンブルグにて出生していたことにあるのではないか、と推測することができます。
 
本年2月9日付本ブログにて述べましたように、「ハンブルグ」という都市名の語源は、不明とされてはいるものの、ハンブルグの労働者の食事であったタルタルステーキの「タルタル」が、モンゴルを意味することにおいて、この地域におけるバトゥ―の西征やキプチャク・ハン国の影響が窺えます。すなわち、「ハン」の語源は、「カンKhan」であった可能性があり、「モンゴル系黒いユダヤ人」が、流入していた可能性のある地域なのです。
 
メンデルスゾーンには、「モンゴル系黒いユダヤ人」との接点があったことは、「歌の翼」が、ロンドンのロスチャイルド家のためにメンデルスゾーンが作曲したとされることによっても示唆されます。
 

AufFlügeln des Gesanges,
Herzliebchen, trag ich dich fort,

Fortnach den Fluren des Ganges,
Dortweiß ich den schönsten Ort.
歌の翼に愛しき君を乗せて
ガンジスの野辺へと君を運ぼう
そこは白く輝く美しい場所
 
この歌の歌詞の「Des Ganges」とは、インドのガンジス川のことであり、インドの「黒いユダヤ人」を想起させます。メンデルスゾーンが活躍した時期は、「黒いユダヤ人」であるサスーン家やロスチャイルド家が、ちょうど英国に拠点を有して勢力を拡大しつつあった時期にあたります。メンデルスゾーンロスチャイルド家の支援を受けていたことは、何度も渡英して、ヴィクトリア女王とも謁見していることによって推し量ることができます。
 
メンデルスゾーンは、ハンブルグで出生していたこと、そして、ロスチャイルド家の支援を受けていたことによって、「黒いユダヤ人」との関連が疑われ、特に言われなき迫害を受けたのかもしれません。また、このことは、19世紀におきましては、「黒いユダヤ人」の攻撃性や狂暴性が、「白いユダヤ人」の間においてさほど大きくは意識されておらず、「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」が、同じ‘ユダヤ人’として協力関係にある場合もあったことを示唆しています。そして、この区別の曖昧な状況が、‘ユダヤ人’問題をより複雑化させたと言えるでしょう。
 
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(続く)