時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

カール・マルクスはインド出身の「黒いユダヤ人」?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。カール・マルクスが孤児であったと想定いたしますと、マルクスがヨーロッパ文明・文化・歴史やキリスト教的倫理・道徳観に背を向けていたこと、すなわち共産主義思想が過激である点をよく説明することができるのですが、それでは、マルクスの真の出自は、どのようなものであったのでしょうか。
 
マルクスの風貌、ならびに、ドイツのトリア出身でありながらロンドンへの拘りなどから推測されてくるマルクスの真の出自とは、「黒いユダヤ人」であり、恐らくはインドの「黒いユダヤ人」であったと推測することができます(『共産党宣言』はロンドンの大英図書館で書かれたそうです)。
 
徳永恂・小岸昭著『インド・ユダヤ人の光と闇』(新曜社・2005年)によりますと、インドのケララ州は、冷戦終焉後の1998年に至っても「赤旗はつねに見かけられるし、「共産党レストラン」の前には大きなマルクスの「頭部」の石像が置かれているほど(頁10・11)」、マルクスやその思想が崇拝されているそうです。あたかも、ケララ州は、マルクスの故郷であるかの如きと言えるでしょう。
 
メンデルスゾーンがロンドンにて、ロスチャイルド家のために『歌の翼』を作曲し、その歌詞には、「ガンジス河」とありますように、19世紀、ヴィクトリア女王の時代は、英国が、東インド会社を通してインドに進出した時代であるとともに、その東インド会社を通してサスーン家などのイラクやインドの「黒いユダヤ人」が、逆にヨーロッパにおいて勢力を大きく伸ばした時代であると考えることができます。
 
19世紀、ロスチャイルドとサスーンという2つの大きな「黒いユダヤ系」の財閥がヨーロッパに出現し、秘かに、ヨーロッパ文明・文化の破壊活動を始めた可能性もあるのです。マルクスとは、ロスチャイルド家やサスーン家の支援を受けて、思想面のみならず経済・社会といった分野において、その破壊計画の遂行を担った人物であったかもしれないのです。

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(続く)