時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

カール・マルクスの過激思想の原因:マルクスは孤児だったのか

  日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。マルクスが生来粗暴な性格であり、12歳までまともな教育を受けた形跡が見られないことは、マルクスをめぐる謎の一つであると言うことができます。換言いたしますと、マルクスという人物は、イエズス会系のギムナジウムに突如現れた野蛮な人物であるという言い方もできるかもしれません。このようなマルクスの性格は、どこに起因しているのでしょうか。

Wikipediaによりますと、マルクスギムナジウム卒業論文の『職業選択に際しての一青年の考察』にて、「人間の職業は自由に決められる物ではなく、境遇が人間の思想を作り、そこから職業が決まってくる」と述べていることは注目されます。ギムナジウム卒業前後の将来の夢は詩人だったそうですので、マルクスが境遇によって決められていると考えていたその職業とは、詩人であったことになります。

では、マルクスの境遇はどうであったのかといいますと、その父ハインリッヒが‘ユダヤ教’のラビの家系で弁護士であったことからは、法律家などの律儀な職業こそがマルクスの境遇から導かれてくる適職です。しかしながら、マルクスは、自らのアイデンティティーをラビの家系には求めておりません。では、マルクスの職業を決定づけている‘マルクスの真の境遇’とは、どのようなものであったのでしょうか。

あくまでも、憶測の域は出ませんが、マルクスは養子であった可能性があります。マルクスには12歳までの記録が無い事と、イエズス会系のギムナジウムに入学したという点は、マルクスが、イエズス会の斡旋によってマルクス家の養子となっていた可能性を示しております。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』という作品がありますが、この作品でも、ヒース・クリフというジプシーの少年が、土地の名家に養子としてもらわれています。19世紀には、チャリティーとして、裕福な家庭が孤児などを養子として育てる場合がありました。

マルクスは、粗暴な人物を実の両親として生まれており、孤児院で育っていたと仮定してみますと、マルクスの粗暴な性格、ならびに、私有財産の禁止、家族の否定といった過激思想を説明できる気がするのです。

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(続く)