時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

聖職者となった非嫡出子の問題

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「パードレ」」と称されておりますように、聖職者とは、本来、高潔で、温和な人格が必要とされ、分け隔てない愛を説かねばならない立場にあります。しかしながら、昨日指摘いたしましたように、その人格や性格の適不適の如何にかかわらず、非嫡出子が政略的理由によって教会に入れられますと、非嫡出子故に聖職者の道を歩まざるを得なかった聖職者は、家族制度を敵視し、教会法の改正まで行うようになってしまったのです。教会は、福音を説く使命を忘れ、所謂‘復讐’の道具と化してしまったと言えるでしょう。
 
このような聖職者の反社会的活動の過激化の要因として、非嫡出子の母親となった女性には、今日では法律によって禁止されているようないかがわしい職業の女性や今日「水商売」と称されている職業の女性が多かった点も指摘することができるかもしれません。このような女性たちは、野心家で、所謂‘ふしだら’な性格の人も少なくなかったはずです。聖職者に必要とされるような性格とは、このような女性たちの性格とは正反対の性格なのですが、こうした母親の性格が遺伝している俗物的で野心家の非嫡出子が、むしろ聖職者となってしまうことになるわけです(男の子は母親に似る)。
 
アッシジのフランチェスコの出自不明の母親も、このような女性であった可能性があり、フランチェスコの非文明世界礼賛思想の形成に大きな影響を与えていたと考えることもできます。また、フランシスコ・ザビエルも、父親が60歳の時に出生しておりますので、非嫡出子であったのかもしれません。

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(続く)