時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イエズス会は‘ユダヤ人’のイルミナティー組織

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本ブログにて、イエズス会が、「黒いユダヤ人」の組織であったことを再三にわたり指摘しておりますが、この点を補強する論文を見つけました。ジョン・S・トレル氏John S. Torellが、氏の機関紙、『European-AmericanEvangelistic Crusades』(1999年7月号)のニュースレターに掲載した論文で、イエズス会創始者であるイグナティウス・ロヨラの出自につきまして、以下のように述べております。
 
「1491年にイグナティウス・デ・ロヨラは、スペインのギプツコア洲のバスクで生まれた。両親はマラーノ(キリスト教に改宗したユダヤ人)であり、たいへん裕福な家庭であった。彼は若くしてスペインにあったユダヤ人のイルミナティー組織のメンバーとなった。‘隠れユダヤ人’として活動していることを隠匿するための一環として、ローマ・カトリックの熱心な活動家となった。1521年5月20日にイグナティウス(当時、そのように呼ばれるようになっていた)は戦場で負傷し、半肢体不自由者となった。軍人や政治家としては成功し得なくなったため、彼は聖界にその道を求め初め、結局、司祭となるべくパリに出た。1539年にローマに移り、ローマ・カトリック教会において、もっとも邪悪で、血なまぐさく、虐待的教団であるイエズス会を創設した。1540年に、時の法王パウロⅢ世は、この教団を承認した。1556年のロヨラの没年には、数多くの国々に設けられるようになっていたイエズス会には、1,000人以上のメンバーがあった。
In 1491 San Ignacio De Loyolawas born in the Basque province of Guipuzcoa, Spain. His parents were Marranosand at the time of his birth the family was very wealthy. As a young man hebecame a member of the Jewish Illuminati Order in Spain. As a cover for hiscrypto Jewish activities, he became very active as a Roman Catholic. On May 20,1521 Ignatius (as he was now called) was wounded in a battle, and became asemi-cripple. Unable to succeed in the military and political arena, he starteda quest for holiness and eventually ended up in Paris where he studied for the priesthood.In 1539 he had moved to Rome where he founded the "Jesuit Order,"which was to become the most vile, bloody and persecuting order in the RomanCatholic Church. In 1540, the current Pope Paul III approved the order. AtLoyola’s death in 1556 there were more than 1000 members in the Jesuit order,located in a number of nations.」
 
イグナティウス・ロヨラは、やはり‘ユダヤ人’であったのです。「彼は若くしてスペインにあったユダヤ人のイルミナティー組織のメンバーとなった。‘隠れユダヤ人’として活動していることを隠匿するための一環として、ローマ・カトリックの熱心な活動家となった」という一文から、ロヨラをめぐっては、イエズス会のその奥にある「ユダヤ人のイルミナティー組織」がむしろ注目されてくることになります。
 
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(続く)