時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

国民が真に支持するのは選挙制度改革者では?

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本日は、横浜市長選挙が実施される日です。選挙権は国民が政治家を選ぶ民主主義の根幹となる制度なのですが、選挙の度に痛切に感じるのは、”投票すべき候補者がいない”という”選択肢消滅問題”です。
 
投票すべき候補者がいない悩める有権者は、棄権か白票か、という選択となるわけですが、最近、白票よりは、棄権の方が安全ではないかと考えるようになりました。その理由は、日本国の選挙では、何故か鉛筆書きが慣例化しておりますので、白票で投じると、何者かが後で勝手に特定の候補者の氏名を書きこんでしまう可能性があるからです。このような行為は、選挙法違反行為となるわけで、あり得ないとおっしゃられる方々もおられるかもしれませんが、昨今、不正選挙はまかり通っている可能性も否定はできません。
 
はやくも20世紀初頭において、マックス・ヴェーバーMax Weber(1864~1920年)は『職業としての政治Politik Als Beruf』において、興味深いことを指摘しております。
 
――スペインでは、ごく最近まで、上から仕組まれた「選挙」の形で、二大政党が慣習上決められた順番に従って交互に政権を取り、部下に官職を当てがってきた(『職業としての政治』、岩波文庫、頁27)――
 
歴史的には、形ばかりの民主選挙が平然と行われる場合があったようです。仮に、ヴェーバーの言うとおりでありましたなら、その手段は不正に満ちたものであったはずです。では、「上」とは誰のことであるのでしょうか。本ブログにおきまして再三にわたり指摘しておりますように、イベリア半島は伝統的に「黒いユダヤ人」が勢力を拡大させていた地域です。そして、「黒いユダヤ人」勢力は闇の権力者であり、闇の権力者は、通常はありえない方法や手段を採ることによって権力を伸張させてきたと言うことができます。選挙につきましても同様であり、一般市民の常識や良識を代表しないような候補者ばかりを立てること、そして、不正選挙という手段を用いることによって、民主主義制度を装いながら、権力を維持、増長させていると推測することができるのです。
 
昨今のロンドン市長選挙におきましても、ロンドン市民は、ゴールドスミス氏とカーン氏という、両者ともに‘ユダヤ系(「黒いユダヤ人」…)’の2候補しか選択肢が無いという状況に置かれました(‘どっちをとってもだめ’という挟み撃ち作戦)。また、昨年末のアメリカ大統領選挙においても、不正選挙疑惑は、しばしば外国からの選挙介入と関連付けられて報じられています。日本国に限って不正選挙は絶対にない、と言い切れるのでしょうか。

民主主義という価値を守るためには、立候補に関する手続き、投票方法、投票後の票管理等を含め、現行の選挙制度に対する根本的な見直しは不可避です。国民は、有能な政治家の選出、並びに、選挙制度の安全性と信頼性を高める方向に向けた選挙制度改革を訴える候補者の出現こそ、真に望んでいるのではないでしょうか。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 

(続く)