時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

マルクス家の謎-モロッコ教との関係

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。モロッコ神の別名は「マルクス」であるとしますと、カール・マルクスの名は、何を意味するのでしょうか。本年7月2日から6日にかけて本ブログにでは所謂”マルクス養子説”を提起しましたが、マルクス家そのものにも謎があるように思えます。
 
マルクス家は代々ラビ(ユダヤ教の司祭)であったとされていますが、モロッコ教の影響を受けて変質していた‘ユダヤ教’のラビであった可能性も、以下の諸点から推測されます。
  1. 8月17日付本ブログにて、「イルミナティーの起源はヘロデ王」というタイトルで指摘したように、遅くともヘロデ王の時代には、ヘロデ王による司祭職の売官などによって、ラビとは言いっても、変質した‘ユダヤ教’のラビたちが生じていた(ユダヤ教自身にも問題がある可能性も…)。
  2. マルクス家がどのような経緯を経てドイツのトリーアに住むようになったのかは不明であるが、マルクスの母のヘンリエッテHenrietteが、オランダ出身の‘ユダヤ人’であることは注目される。オランダは、15世紀以降、イベリア半島から移住してきたスファルディ系ユダヤ人の中心地であった(アムステルダムは、「ニューイエルサレム」と称されていた。スファルディ系ユダヤ人には、元はバビロンなどに居住していた「黒いユダヤ人」が多かったことから、マルクス家も「黒いユダヤ人」との繋がりが強かったと推測される。
  3. イベリア半島は、7世紀から15世紀にかけて、イスラム教国であるモロッコ王国に属していた。モロッコの語源は、モロッコ神である可能性がある。
  4. マルクス家は、親モロッコ派の北イスラエルのラビであり、紀元前5世紀にサルゴン王によって北イスラエルが滅亡した際に離散し、17世紀にはドイツのトリーアに居住することになった一族である可能性もある。
憶測の域は出ませんが、このような点から、マルクス家は、そもそも隠れモロッコ教徒の‘ユダヤ人’であり、悪魔崇拝、動物崇拝、非文明礼賛の思想から、実子であれ、養子であれ、「黒いユダヤ人」の工作要員としてカール少年を養育したとする可能性もあながち否定はできないのです。

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(続く)