時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「黒いユダヤ人」の国際組織の‘現人神’戦略

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。リルケの『Geschichten vom lieben Gott』(1899年)に収められる「ヴェニスユダヤ人街の一情景」という物語は、ロスチャイルド家・サスーン家・イエズス会を中心とした「黒いユダヤ人」の国際組織が人類支配のために用いている‘からくり’を考える上で示唆的です。この物語の内容の要約を再掲載いたしますと、以下のようになります。
 
ヴェニスユダヤ人街に金細工師であったユダヤ人の長老が住んでおり、この老人は、ゲットーの家々のなかで、いつも一番高い家の最上階の部屋に住まないと気が済まないという性格でした。或る年の夏、またゲットーで一番高い家が建て増されると、もう老人は長い階段を登ってゆくのが困難であったにもかかわらず、そこへ移ると言い張り、人々に手を取られながら半日がかりでそこまで登ってゆきます。秋が来て空気も澄み渡った或る朝、暁の光を通して、「これまで誰もユダヤ人街からは眼にしたことがないもの」がこの頂から望見され、老人は、最上階のルーフテラスの縁に一人立って、そちらの方向へ祈りとき跪拝を繰り返します。そして、この物語は、下から見上げる人々には、その姿は神々しいものに見えたのですが、その時、老人が見ていたものが、「それは海だったのだろうか、それとも神だったのだろうか」という問いかけで締めくくられています。
 
Geschichten vom lieben Gott』というタイトルは、正しくは、『現人神(生ける神)の物語』と邦訳すべきである点は、本年8月22日付本ブログで述べました。では、この「現人神(生ける神)」とは誰のことであるのかと言いますと、金細工師のユダヤ人長老ということになります。リルケは、孫娘のエステルが、イタリア人貴公子の隠し子を生んだことによって最上階に暮らすことができるようになったこの老人が、ルーフテラスの上で祈祷する姿は、「神々しいものに見えた」と表現しています。すなわち、善男善女で単純素朴な一般民衆からこの老人が「現人神(生ける神)lieben Gott」のように崇められるようになる可能性が示唆されているのです。
 
そこで、この老人が祈りを捧げていた対象は何であったのかが問題となります。「それは海だったのだろうか、それとも神だったのだろうか」という問いかけからは、老人の信仰の対象は、海、もしくは、神であることになります。仮に、海でありましたならば、海の怪獣リバイアサンのことであると考えることもできます。『Conspiracy of theSix-Pointed Star: Eye-Opening Revelation and Forbidden Knowledge About Israel,the Jews, Zionism, and the Rothschilds (『ダビデの星の陰謀:イスラエルユダヤ人・シオニズムロスチャイルドをめぐる啓発的暴露と禁断の知識)』(Texe Marrs, River Crest Publishing, 2011年)によりますと、モロッコMoloch, Markuthは、海から上がってくる怪獣、リヴァイアサンLeviathanのことでもあります(頁26)。

神でありましても、仮に、老人が黒いユダヤ人や北イスラエル系のユダヤ人でありましたならば、モロッコMoloch, Markuthである可能性があります。ヴェニスは、モンゴルとの繋がりの強い都市国家でしたので、その可能性も高いと言うことができます。
 
このことから、老人が何を信仰しているのかを知らずして、高い場所にあって「神々しく見える」からといって人々が老人を「現人神(生ける神)lieben Gott」として崇拝し、老人の命令に従ってしまいますと、人々は、実質的には悪魔崇拝の教徒、モロッコ教徒、すなわち、悪魔の手先となってしまうことになるのです。
 
人間には、どのような人物であっても、高い処にある人物を、‘偉い人’、‘神々しい人’と認識(誤認)してしまう習性があるようです。この物語は、なぜロスチャイルド家・サスーン家・イエズス会を中心とした「黒いユダヤ人」の国際組織が、王室や皇室の乗っ取りをその基本戦略としているのか、その理由を示していると言えるでしょう。「黒いユダヤ人」の国際組織の‘金太郎あめたち’が、「現人神(生ける神)lieben Gott」となれば、王室・皇室のある国々は実質的にモロッコ教化することとなり、「黒いユダヤ人」の国際組織は、世界支配計画を一歩も二歩も進めることができるのですから。

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(続く)