時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーの排除対象は人々の知性や美徳

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティー(「黒いユダヤ人」の国際組織)が、フランス革命に介入した目的は、国権を掌握し、独裁的な特権を振りかざして国民に対して圧制を敷いていた王族、貴族層、聖職者層を、一般国民のために親切にも取り除いてあげるためではなく、むしろ、さらに一般国民を苦しめる体制を築くことにありました。なぜならば、イルミナティーという集団の真の目的、行動計画は、「世界支配すること」にあったからです。世界を支配したいわけですので、一般国民は、常に、被支配者の立場に位置付けておかなければならない、ということになるのです。
 
当時のフランスは、出版物などを通して、貴族層のみならず、さまざまな人々が、啓蒙思想に触れ、「自由・平等・博愛」によって成り立つ社会の実現を当然視・理想視していたと言うことができます。フランス革命が、1789年5月の三部会における国民議会の成立と「テニスコートの誓い」をその出発点としていることに象徴されますように、個々人の基本的権利と人間としての尊厳が保障される国家の実現こそが人々の目標であり、それゆえに、「自由・平等・博愛」は、フランス革命のスローガンとなりえたのです。
 
仮に、イルミナティーによって、その方向を変更されることがなかったならば、すなわち、野蛮化、動物化の方向へと向かわせられることがなかったならば、フランスにおいて、理性や知性にもとづくよき社会は実現し、よき市民社会が築かれていたかもしれません。
 
しかしながら、イルミナティーが、そのような市民社会の到来を望んでいるはずは無く「自由(freedom)・平等(equality)・博愛(philanthropy)」は、いつのまにか、「荒くれ男」達によって、「自由(freemason)・平等(emancipationユダヤ人解放=ユダヤ人による世界支配)・博愛(fraternityフリーメイソンの会員間のみの友愛)」、すなわち、フリーメイソンイルミナティー自身を暗喩するスローガンとなり、フランス国民は、フリーメイソンイルミナティーによる支配を受け入れるという方向に向かわされてしまうことになるのです。つまり、革命を介して真にイルミナティーが取り除きたかったのは、人が自然に備えている知性、美徳、高貴な魂、良心…であり、あるいは、人間の本質的な平等を説く啓蒙思想そのものであったのかもしれないのです(この時から、フランス革命は矛盾に満ちた様相を呈することに・・・)。
 
同じスローガンでも、その意味するところが変わってしまったことを知らない一般国民は、イルミナティーによってフランス国内に送りこまれてきた「荒くれ男」達に騙されてしまった、と言えるでしょう。

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(続く)