時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

"自由、平等、友愛、しからずんば死を"-脅迫と化したフランス革命

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。フランス革命のスローガンである「自由・平等・博愛」の意味が、実質的には「自由(freemasonフリーメイソン)・平等(emancipationユダヤ人解放=ユダヤ人による世界支配)・博愛(fraternityフリーメイソンの会員間のみの友愛)」に変えられ、‘イルミナティーによる支配’の受け入れを人々に要求するものとなっていたことは、「自由・平等・博愛」という言葉には、「しからずんば死を」という言葉が加えられたことによっても示唆されてきます。

パリ・コミューンの長であったジャン=ニコラ・パシュは1793621日に、各所の壁に「自由、平等、友愛、しからずんば死を」という標語を書かせたそうです。特に共和暦V年からVII年の総裁政府が友愛の誓いの代わりに王党派と無政府主義者への憎しみの誓いを奨励したこともあり、「自由、平等、友愛、しからずんば死を」は、ジャコバン政権に抵抗・反対する人々を大量殺害するための‘屁理屈’となったのです。すなわち、キリスト教啓蒙主義から生じた「自由・平等・博愛」は、イルミナティーによって殺人容認・推奨スローガンとなってしまったと言えるでしょう。
 
このような「しからずんば死を」という表現は、イスラム教を想起させます。イスラム教では、「釼かコーランか」という言葉が、イスラム教徒の軍隊によって征服された土地の人々に対する脅しの文句として使われておりました。すなわち、「釼による死か、それとも、コーランイスラム教)に帰依するか」という二者択一の選択を、イスラム教徒の軍隊は、人々に迫ったのです。
 
フランス総裁政府(ジャコバン政権)によって用いられた「自由、平等、友愛、しからずんば死を」という標語は、イスラム教と同様に、フランス国民に対しまして「イルミナティーの支配を受け入れて‘家畜・奴隷’となるのか、それとも、死を選ぶか」の二者択一を迫っていたことになります。どちらを選んでも、一般のフランス国民には、悲惨な状況が齎されることになるわけですので、この標語は、人々に対する狡猾な脅し文句となったのです。

イルミナティーの思想がイスラム教に近いこと、そして、「黒いユダヤ人」たちが‘挟み撃ち’作戦を好むことは、本ブログにて再三にわたって指摘しているとおりです。‘なぜフランス革命が野蛮化・動物化の方向に向かったのか’という課題につきましては、こうした脅迫的手法を用いるイルミナティーの世界支配計画の存在を抜きにしては解明できないのではないでしょうか。

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(続く)