時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本版カルマニュールの「ええじゃないか」

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。フランス革命期の「カルマニョールCarmagnole」という‘踊る集団’におけるフランシスコ会の思想、すなわち、イルミナティー(黒いユダヤ人)の思想の影響について昨日扱いましたが、1543年に日本に‘キリスト教を齎した’とされるフランシスコ・ザビエルが、まさに、そのフランシスコ会の思想の影響を強く受けたイエズス会士であることは、注目されてまいります。
 
本年5月3日と5月27日付本ブログにおきまして、1)ザビエルは、日本を去るにあたってイエズス会内のフランシスコ派の組織を鹿児島(薩摩)と山口(長州)などにつくっていった可能性があること、2)その組織は江戸時代を通して存続していた可能性があること(平戸、出島、沖縄、もしくは密貿易のルート上の島々などを通して海外のフランシスコ派イエズス会イルミナティー組織と連絡を取りあっていた?)、そして、3)このことと幕末に倒幕に動いたのが、薩摩藩長州藩であったこととの間には何らかの関連がある可能性につきまして指摘いたしました。
 
そして、幕末と言いましたならば、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊る謎の‘踊る集団’が想起されてまいります。フランス革命を踏まえますと、その背景には、イエズス会内のフランシスコ派、もしくは、イルミナティーの指令があったと推測することができます。すなわち、イルミナティーは、既に江戸時代を通して日本にあったイエズス会内のフランシスコ派の組織を再編成して、いわば「日本版カルマニョール」をつくったのかもしれないのです。以下の点は、このような推測を補います。
 
1)岩倉具視の『岩倉公実記』に、京の都下において、神符がまかれ、「ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカト」と叫んだとあり、「エイジャーナカト」は、九州弁である。
 
2)囃子言葉に「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)とあり、特に長州側を支持した囃子言葉となっている。
 
3)Wikipediaによると、1897年 福地源一郎(幕臣・ジャーナリスト)は、慶応3(1967)年1129日に大坂で「ええじゃないか」を目撃し、「懐往事談」に「或は云ふ。此御札降りは京都方の人々が人心を騒擾せしむる為に施したる計略かりと。其の果して然るや否やを知ざれども」と、原因に関する噂についても記述している。「京都方」とは、薩長を中心とした倒幕勢力のことである。
 
4)『岩倉公実記』の記述に、「八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む」とあり、「ええじゃないか」は、薩長を中心とした統幕勢力にいよる明治維新を目的としたものであったことがわかる。
 
そしてさらに不思議なことに、幕末関係の資料には「ええじゃないか」に関するものが存在しておらず、また、「ええじゃないか」に参加したという構成員の証言もありません。教科書に記載されるほどの出来事でありながら、未だに、その存在は謎に包まれているのです。

このような諸点から、「ええじゃないか」とは、海外の組織、即ち、イルミナティー(黒いユダヤ人)によって組織された「日本版カルマニョール」である可能性も否定はできません。そしてこの謎は、明治維新が、イルミナティーの影響を受けていることをも示唆していると言えるのではないでしょうか。

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(続く)