”慰安婦”を女帝にできる国際権力とは?
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。‘慰安婦’と言いますと、‘気の毒な女性たち’、‘可哀そうな女性たち’というイメージがあるかもしれません。しかしながら、慰安婦のような職業が、イルミナティー(「黒いユダヤ人」の国際組織)によって組織された女性スパイの集団であると考えますと、そのバックには、ロスチャイルド家、イエズス会のフランシスコ派、サスーン家という世界支配を狙い、着々と歩を進めている国際権力体があることになり、こうしたイメージを持つことは、むしろ危険であるということになります。
この点、ピョートル1世の妃であり、ロマノフ朝第2代のロシア皇帝(在位:1725年 - 1727年)となったエカチェリーナ1世Catherine I(Екатерина I Алексеевна, 1684年- 1727年をめぐって、慰安婦説があることは注目されます。Wikipedia英語版は、エカチェリーナ1世の出自について、以下のように記述しています。
――エカチェリーナの出自について確認できる史料はない。1684年4月15日(ユリウス暦4月5日)に生まれたとされる。もともとは、マルタ・ヘレナ・スコウロンスカという名前であった。マルタは、ミンスク出身の両親のもとに生まれ、ポーランド・リトアニア連合王国からやって来たサミュエル・スコウロンスキーというカトリック系農夫の娘であった。サミュエルは、1680年に、ヤコブスタットでドロシア・ハンという女性と結婚している。There are no documents that confirm her origins. Said to have beenborn on 15 April 1684 (o.s. 5 April),[1] she was originally named Marta HelenaSkowrońska. Marta was the daughter of Samuel Skowroński (later spelt SamuilSkavronsky), a Roman Catholic peasant from the Polish–Lithuanian Commonwealthborn to Minsker parents, who in 1680 married Dorothea Hahn at Jakobstadt.――
マルタは、洗濯女、家政婦、ロシア政府の要人の愛人などを経て、ロシア皇帝ピョートルの気に入るところとなり、ピョートルの遠征軍に必ずついてゆくようになります。いわば、従軍慰安婦ということになりますが、マルタと秘密結婚したピョートルは、妻であったロシア大貴族の娘、エヴドキヤ・ロプーヒナを修道院に幽閉し、マルタは、1721年の正式な結婚によって皇后となります。そして、Wikipedia日本語版によりますと、「1725年に入ってピョートル1世の死期が近づくと、有力大貴族はピョートル1世の長男アレクセイの子ピョートル・アレクセーエヴィチを後継に推し、新興勢力は皇后エカチェリーナを推して対立した。同年1月28日早朝、サンクトペテルブルクでピョートル1世が死ぬと、皇后側に就いた近衛部隊が元老院を押さえ、皇后は同日中にエカチェリーナ1世として即位した。こうして卑賤な生まれのリヴォニア農民の娘がロシア史上最初の女帝となったが、メーンシコフが牛耳る最高枢密院に実権を握られた傀儡の皇帝に過ぎなかった」ということになります。
1)マルタの祖母のドロシア・ハンDorothea Hahnは、「ハンHahn」という家名から、モンゴル系であると考えられる。ロスチャイルド家の元の家名も「ハンKhan」であり、マルタはロスチャイルド家の支援を受けていた可能性がある。
2)マルタの父のサミュエル・スコウロンスキーSamuel Skowrońskiの両親はベラルーシのミンスク出身ですが、ベラルーシのミンスクは、ポーランド・リトアニア共和国時代に多くのポーランド人とユダヤ人が移住してきた都市であり、ユダヤ人が多い。「サミュエル」という名前から、スコウロンスキーの両親も、‘ユダヤ人’であった可能性が高く、第一点の「ハン Hahn」の問題を踏まえると、モンゴル系の「黒いユダヤ人」であったと考えられる。サミュエルは、ローマ・カトリックに改宗していたのかもしれない。
3)スコウロンスキー家が移住し、マルタの生まれたラトヴィアLatviaのリヴォニアは、モンゴル系遊牧民のフン族の居住地であったところであり、モンゴル色の強い地域である。第一点と第二点を踏まえると、モンゴル系の「黒いユダヤ人」の多いリヴォニアに移り住んだとも推測できる。
5)マルタを女帝位に就かせた新興勢力とは、‘ユダヤ系’の勢力であったと推測される。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。