時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

明治維新と‘皇室劇場’を繋ぐのはイルミナティー?

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨今、‘眞子さん’をめぐり、佐藤睦なる女優さんが、‘眞子さん’として登場し、マスコミも‘眞子さん’として扱うという極めて奇妙な状況が発生しているとする説があります。その目的は、佐藤さんが、将来、‘皇室劇場’において、眞子さん役を務める予定であることにあると推測されるのですが、「佐藤睦」なる名前は、アーネスト・サトウErnest Mason Satow1843年~1929年)をも想起させます。睦という名前の漢字も、明治天皇の諱にも含まれておりますが、目へんが含まれ、かつ、親睦的な友愛を意味することに加えて、一月を睦月と称することから”アーネスト”とも通じます(もっとも、一月を睦月と呼称した理由としては、お正月に親族が集まって親睦を深めたことによるとする説が有力…)。
 
サー・アーネスト・メイソン・サトウは、幕末に来日し、薩長側を支援したイギリスの外交官です。Wikipediaによりますと、「父親のデーヴィッドはラトビアのリガの出身で、11歳から2年間ボーイとして船上で働き、1825年にロンドンに移住、ルーテル派の信者となり、同じ教会に通う代書人メイソン家の長女マーガレットと結婚、ロンドン塔近くのジューリー通り(Jewry Street。オールド・ジューリーと並ぶイギリスにおける最も古いユダヤ人街のひとつで、古くは貧しいユダヤ人の居住地域だった)に住んで土地家屋を売買する金融業を営み、1846年にイギリス国籍を取得した」そうです。ラトビアは、ユダヤ人が多く居住していた地域であることから、サトウの父親は、ルーテル派に改宗した‘ユダヤ人’であり、母親も、「メイソン」という姓から、ユダヤ人であったと考えられ、特に、フリーメイソンとの関連の強いユダヤ人の家系であったと推測することができます。
 
当時、フリーメイソンは、イルミナティーによって既に乗っ取られていた点を踏まえますと、アーネスト・サトウは、イルミナティーであったと推測することができるのです。イルミナティーの常套手段が背乗りや‘成り済まし’であることは本ブログにて再三にわたって指摘している通りであり、今般の‘皇室劇場’は、今に始まったわけではなく、明治維新の延長線上にあると考えることができます。

因みに、明治維新に関わったとされる人々の集合写真(合成写真)が残っておりますが、インターネット上に、佐藤睦さんを中心とした劇団員の人々が会した集合写真(合成写真)もあります。もしかしますと、明治以来、日本国を舞台として、“壮大な偽装事件”が仕組まれてきたのかもしれません。

 

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(続く)