時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーをめぐる小説の主人公は現実のモデルとなぜ真逆なのか

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「事実は小説よりも奇なりFact is stranger than fiction」という言葉があります。ディケンズの『二都物語A Tale of Two Cities』とドイルの『緋色の研究A Study in Scarlet』に登場する女性の「ルーシー」という名が、悪魔崇拝イルミナティーを含意しているにもかかわらず、両小説は、「ルーシー」を善人の代表とも言える女性として設定していると昨日述べましたが、このように、イルミナティーをめぐる小説において、フィクションと現実が真逆に設定されているのは、「ルーシー」だけではありません。
 
ドイルの「シャーロック・ホームズSherlock Holmes」は、未解決問題を解決する知性・理性的な辣腕探偵として設定されておりますが、現実のホームズはその逆で、「切り裂きジャック事件」や「アメリカン・リッパ-事件」といった未解決問題とされた殺人事件の犯人であるH.H,ホームズのことであると言うことができます。すなわち、小説のホームズは犯人を捕まえる探偵であり、現実のホームズは探偵によって捕まえられる犯人であるのです。また、ディケンズの『クリスマス・カロルA Christmas Carol』の主人公である守銭奴スクルージは、悔い改めることによって善人になり、人々に平和な暮らしと幸せをもたらすような存在となりますが、近現代史スクルージとも言えるモルガン銀行は、悔い改めるどころか、第一次世界大戦におきまして守銭奴ぶりを大いに発揮して、ドイツに対して多額の賠償金という形で資金回収を行ったため、人々を戦禍と不幸に巻き込む第二次世界大戦を引き起こしております。このように小説と現実が真逆に設定されている理由について、本日は考えてみることにしましょう。
 
まず、チャールズ・ディケンズコナン・ドイルの両者がともに、イルミナティーに近い立場の生立ちである点が注目されます(本ブログにて先に指摘しておりますように、芥川龍之介イルミナティーに近い生立ちという特徴がある)。すなわち、両者は、イルミナティーを構成する人々の邪悪で野心的、そして自己中心的な性格を熟知していたと推測することができるのです。では、イルミナティーが極悪であることを知りながら、なぜ、小説の主人公に、イルミナティーを読者に想起させるような名前を付け、そして、その性格も現実のイルミナティーと真逆に設定したのでしょうか。この点につきまして、以下の2つの仮説を提起することができます。
 
1)両者は、イルミナティーが極悪であることを知っていたがゆえに、イルミナティーを嫌悪しつつも、「黒いユダヤ人」であるという自らの生立ちから、イルミナティーを救いたいと考えていた。すなわち、イルミナティーのメンバーたちが悔い改めて、小説の主人公のような善人になることによって、イルミナティー問題(黒いユダヤ人問題)が解決されることを期待した。換言すれば、両者は、小説を書くことで、イルミナティーのメンバー達に対して、小説の主人公のような善人とならなければ救いは無く、人々から忌み嫌われ、やがては迫害されるようになることを教えた。
2)両者は、イルミナティーのメンバー、もしくは親イルミナティーの立場にあり、イルミナティーが極悪であることを隠匿し、読者に恰もイルミナティーが善人の組織であるかのようにイメージ操作するために小説を書いた。
 
読者の皆様は、これらの2つの仮説のうちどちらにより説得力があるとお考えになるでしょうか。

 
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(続く)