時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーによって演出された江戸城無血開城

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。NHKの大河ドラマ西郷どん」が、イルミナティーの影響のもとに製作されている可能性を昨日指摘いたしました。
 
西郷隆盛なる人物が実在していたのか、否かも疑問であり、「チーム西郷隆盛」であった可能性は、明治維新という‘イルミナティー革命’を推進するにあたって、「西郷隆盛」と名付けられたキャストが必要であったからであると推測することができます。そこで、どのようなキャストであったのかが問題となりますが、この点、着目されるのが、江戸無血開城です。「西郷隆盛」の江戸城無血開城において果たした役割は、Wikipedia(日本語版)によりますと、以下のようになります。
 
313日、14日、勝海舟と会談し、江戸城明け渡しについての交渉をした。当時、薩摩藩の後ろ盾となっていたイギリスは日本との貿易に支障が出ることを恐れて江戸総攻撃に反対していたため、「江戸城明け渡し」は新政府の既定方針だった。橋本屋での2回目の会談で海舟から徳川処分案を預かると、総攻撃中止を東海道軍・東山道軍に伝えるように命令し、自らは江戸を発して静岡に赴き、12日、大総督・有栖川宮に謁見して勝案を示し、さらに静岡を発して京都に赴き、20日、朝議にかけて了承を得た。江戸へ帰った西郷は44日、勅使・橋本実梁らと江戸城に乗り込み、田安慶頼に勅書を伝え、411日に江戸城明け渡し(無血開城)が行なわれた。」
 
すなわち、江戸城無血開城による江戸幕府の消滅は、維新側の「西郷隆盛」と幕府側の勝海舟の2人だけによる密談によって決定されており、その背景にはイギリスの意向があったことがわかります。慶応4年(1868年)は、イギリスではヴィクトリア女王Victoria (在位:1837―1901年)の時代であり、イルミナティーが英国の政治・経済に大きな影響を及ぼしていた時代です。この点から、維新側の「西郷隆盛」は、イルミナティーの代理人であったと推測することができます。
 
さらに、勝海舟の「勝」という文字が、「ヴィクトリーVictory」の意味であることに示唆されますように、幕府側の勝海舟も、イルミナティーのメンバーであった可能性があります(当時の幕府将軍の徳川慶喜イルミナティーであったという説がある)。
 
このことから、敵対していたと考えられている維新側と幕府側の双方とも、実は、イルミナティーによってコントロールされており、‘両陣営にそのメンバーを送り込み、イルミナティーの計画通りに、歴史を進める’というイルミナティーの常套手段によって、江戸城無血開城が行われたと考えることができるのです。
 

すなわち、江戸城無血開城は、イルミナティーによって決定済みのことであり、「西郷隆盛」とは、イルミナティーが江戸城無血開城というイベントを大々的に演出するために必要なキャストであったということになるでしょう。


 

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(続く)