時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ヒトラーはなぜドイツ国民の支持を得たのか

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「アンチ・セミティズムAnti-Semitism(反黒いユダヤ主義)」という用語には、殊、バイエルンで誕生したイルミナティー(黒いユダヤ人)に対する批判・非難が込められている点を無視しては、かくもヨーロッパにおきまして、「アンチ・セミティズムAnti-Semitism」が、国家の命運をも左右するほど大きな政治的原動力、すなわち、国民側からの‘ユダヤ人’排除の要求運動として作用するようになったのかは説明されえません。そして、その典型がドイツあったことは言うまでもありません。


  そこで、「アンチ・セミティズムAnti-Semitism」の頂点とも言える「ホロコースト」の首謀者とされるアドルフ・ヒトラーの経歴に注目してみることにしましょう。Wikipedia(日本語版)によりますと、特に、以下の点が注目されます。

 

「生地はオーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州であり、国籍としてはドイツ人ではなくオーストリア人であったが、現在のオーストリア国民の大多数がそうであるようにドイツ民族に属する。1932年にブラウンシュヴァイク州のベルリン駐在州公使館付参事官に任ぜられてドイツ国籍を取得し、ドイツ国の国民となっている。第一次世界大戦までは無名の一青年に過ぎなかったが、戦後にはバイエルン州において、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)指導者としてアーリア民族を中心に据えた人種主義と反ユダヤ主義を掲げた政治活動を行うようになった。1923年に中央政権の転覆を目指したミュンヘン一揆の首謀者となり、一時投獄されるも、出獄後は合法的な選挙により勢力を拡大した。」

 
ヒトラーの政治家としての出発点は、イルミナティーのお膝元のバイエルンにありました。そのバイエルンを拠点とするヒトラーが、第一次世界大戦の敗戦とドイツに課された巨額な賠償をイルミナティーの陰謀と捉え、「アンチ・セミティズムAnti-Semitism」を活発化させていた一般ドイツ人の支持を受けるに至った理由は、昨日も述べましたように、バイエルンは一般国民のイルミナティーへの反発と抵抗から、「アンチ・セミティズムAnti-Semitism」が発祥した地でもあることにあるようです。殊、ミュンヘン一揆を起こすことで、ヒトラーが排除しようとした人物が、イルミナティーのメンバーと目される当時のバイエルン州総督、グスタフ・フォン・カールGustav Ritter von Kahr18621129 - 1934630日)であった点が、ドイツ国民が、ヒトラーを「アンチ・セミティズムAnti-Semitism」の旗手として認識する切っ掛けとなったようです。
 
バイエルン州総督のカールは、バイエルン王家と親しく、当時、バイエルン王家の王政復古によるバイエルン州の独立計画を推し進めており、また、カトリックイエズス会)からも信任が厚い人物であり、バイエルン州総督に就任できたのもカトリックイエズス会)の人事介入があったからのようです。このことは、カールがイルミナティーのメンバーであった可能性が極めて高いことを示しております。そのカールを排除しようとしたのが、ヒトラーであるということになるのです。
 
ミュンヘン一揆は失敗するものの、ヒトラーのアーリア民族(ハム系民族)を中心に据えた人種主義と、「アンチ・セミティズムAnti-Semitism」を掲げた政治活動は、その後、急速にドイツ国民の熱狂的支持を得るに至ります。その理由は、カール排除を目的としたミュンヘン一揆によって、ヒトラーが、自らを反黒いユダヤ主義、反イルミナティー主義の政治的指導者としてドイツ国民に印象付けることに成功した点にあると言えるのです。一揆の失敗によって獄中にあったヒトラーが著した『わが闘争Mine Kampf

』も、この一環として位置付けられるのでしょう。


 

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(続く)