時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーの‘最新鋭の武器’は世界組織であること

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーの所謂‘最新鋭の武器’は、それが世界組織であるということです。13世紀、モンゴル帝国が、騎馬隊という‘最新鋭の武器’によって世界制覇の一歩手前まで歩を進めたとうい歴史を踏まえますと、イルミナティーの‘世界組織’という武器は、確かに威力があると考えることはできそうです。
 
昨日、本ブログにて、1799年に東インド会社が解散させられことと機を一にするかのように、ロシア・英国・米国などの諸国からの日本に対する開国要求が強まったことを指摘いたしました。このことは、偶然ではないと仮定いたしますと、‘黒船’のペリーがユダヤ人であったことに示唆されますように、そこには、「黒いユダヤ人」の国際組織、すなわち、イルミナティーの介在あった可能性を指摘することができます。
 
19・20世紀にヨーロッパを席巻したジャポニズムに示されますように、貴金属、倭絹(中国製の絹よりも糸が細く品質が高かった)、漆器、陶器などは、東インド会社を通してイルミナティーに莫大な利益をもたらす日本の特産品でありました。また、日本には武士階級がありましたので、刀を止めさせて銃を持たせれば、武器の輸出先や世界支配の尖兵としても利用できる国であったと考えることができます。このため、オランダ東インド会社の解散によって、同社を通しての利益の独占が困難となったイルミナティーは、別の国々からの圧力によって日本を開国させ、日本国を改造してその支配下に入れる計画を立案したのではないかと推測することができるのです。
 
では、どうして、このような計画を立案することが可能であったのかと言いますと、ロシア政府、英国政府、米国政府内にイルミナティーのメンバーが送り込まれており、これらのメンバー達が、一斉に動き出したからであると推測されます。イルミナティーは国際組織であったために、世界レベルでこのような同時性・連動性を持った行動を起こすことができるようなのです(このような同時性・連動性は現在でも変わりはないようです)。
 
本年3月27日付本ブログにて、幕末において‘明治天皇’のすり替えなどの様々な工作活動を行ったとされるアーネスト・サトウErnest Mason Satow1843年~1929年)について扱いました。サトウは、幕末に来日し、薩長側を支援したイギリスの外交官であり、Wikipediaによりますと、「父親のデーヴィッドはラトビアのリガの出身で、11歳から2年間ボーイとして船上で働き、1825年にロンドンに移住、ルーテル派の信者となり、同じ教会に通う代書人メイソン家の長女マーガレットと結婚、ロンドン塔近くのジューリー通り(Jewry Street。オールド・ジューリーと並ぶイギリスにおける最も古いユダヤ人街のひとつで、古くは貧しいユダヤ人の居住地域だった)に住んで土地家屋を売買する金融業を営み、1846年にイギリス国籍を取得した」そうです。ラトビアは、ユダヤ人が多く居住していた地域であることから、サトウの父親は、ルーテル派に改宗した‘ユダヤ人’であり、母親も、「メイソン」という姓から、ユダヤ人であったと考えられ、特に、フリーメイソンとの関連の強いユダヤ人の家系であったと推測することができます。このようなサトウの背景は、19世紀における日本をめぐるイルミナティーの暗躍を示唆していると言えるでしょう。
 

‘世界組織’という‘最新鋭の武器’を持ったイルミナティーは、こうして快進撃を続けることになったようなのですが、必ずしも、成功したとは言えないようです。そこには、フリーメイソンの仮面を被っていたイルミナティーの正体を見破り、イルミナティーに対して強い反発と抵抗を示す多くの人々があったからであると考えることができます。


 

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(続く)