白頭山研究所と二人の‘マリー・アントワネット’
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーは、白頭山研究所を通して、現在、‘そっくりさん達’を造りだしているようですが、このような工作は、イルミナティーがこの‘そっくりさん達’を造りだすという方法で、その工作活動を成功させてきたという成功体験にもとづくものであると推測することができます。
イルミナティーの成功例の典型は、フランス革命前夜におけるマリー・アントワネットMarie-Antoinette (1755年11月2日 - 1793年10月16日)の偽者であると推測することができます。マリー・アントワネットがフランス国民の憎悪の対象となる契機となった事件は、「首飾り事件」と称されるマリー・アントワネットの浪費事件です。当時、フランス国民には重税が課せられていたのですが、その税収を湯水のように使い、ついに極めて高価なダイアモンドの首飾りを購入したことが、国民の反フランス王室感情に火を付けることになったのです。
しかしながら、今日の研究によりますと、首飾り事件の真相は、まったく異なるものであったことが明らかとなっております。すなわち、マリー・アントワネットが、首飾りを購入したわけではなく、本物のマリー・アントワネットに知られないように、偽者の‘マリー・アントワネット(侍女の一人であったとされます)’が首飾りを購入し、その代金の請求書が本物マリー・アントワネット宛てに送られてきたという事件であったようなのです。そのことを知らないフランス国民は、王妃自身が高価な首飾りを購入したものと勘違いし、マリー・アントワネットを憎むようになったのです。
この偽者のマリー・アントワネットが、イルミナティーによって送り込まれた人物である可能性は、十分にありえます。宝飾業は‘ユダヤ人’が従事する傾向にあり、こうした‘ユダヤ人’のなかには、イルミナティーと繋がる「黒いユダヤ人」もあったと推測することができるのです。
このように考えますと、今日、マリー・アントワネットの肖像画として知られるポートレートには2種類あることが気にかかります。ひとつは、ディケンズも美人であると評している、ヨセフ・ドゥクルーJoseph, Baron Ducreux (26 June 1735 – 24 July 1802)やエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランMarie Élisabeth-Louise Vigée Le Brunによって描かれたような面長で、口角の上ったマリー・アントワネットです(ドゥクルーは、フランス王室に嫁ぐ前の14歳のマリー・アントワネットの肖像画を描いています)。もう一つは、額の幅が著しく広く、顎のしゃくれた四角い顔のマリー・アントワネットであり、しばしば、美人ではなかったとも評されております。また、マリー・アントワネットは、ある時期から、筆跡が著しく異なるものともなってもおります。
どちらが本物であるのかはわかりませんが、かなり以前から、マリー・アントワネットには、‘偽者’がいたのかもしれません。前者がオーストリアのマリア・テレジアMaria Theresia(1717年5月13日 - 1780年11月29日)とフランツ1世Franz I(1708年12月8日 - 1765年8月18日)、さらに弟のヨーゼフ2世Joseph II(1741年3月13日 - 1790年2月20日)とも似ている点、そして、後者が、その額の広さにおいてロスチャイルド家のアムシェル・ロスチャイルドMayer Amschel Rothschild(1744年2月23日 - 1812年9月19
日)に似ている点は、あるいは、この事件の真相を示唆しているのかもしれません。
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(続く)