時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

対イルミナティーの’奇跡’を起こすフランス王家?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本日は、フランス王家を滅ぼしたイルミナティーの4つの目的のうち、フランス王には、奇跡を起こすことができるという言い伝えがあったことから、世界支配を狙うイルミナティーが、フランス王による奇跡がイルミナティーの世界支配を阻止するを怖れ、フランス王を亡き者しようとしたとする点について考えてみましょう。
 
フランス王には、病人に手を触れるとその病人が快癒するなどの奇跡を起こすことができるとされており、実際に、そのような奇跡があったのか、否かは確認はできませんが、イルミナティーとの関係で、以下の故事には、注目すべきかもしれません。
 
時は13世紀、ヨーロッパは、破竹の勢いのモンゴル軍の襲来に苦しめられておりました。ズボタイSubotai率いるバトゥのヨーロッパ遠征軍は、ウクライナや東ヨーロッパはもちろんのこと、シレジアやスェーデンなどにも侵入を開始し、対モンゴルの主力であったドイツは、モンゴルに一時征服されるに至って機能しない事態に陥ります。すなわち、124149日、レグニツキェ・ポーレ(ドイツ語名:リーグニッツ)で起きたレグニツァの戦い(またはワールシュタットの戦い)で、シレジアのヘンリク2世率いるキリスト教軍は、ポーランド封建貴族やバイエルン封建貴族、騎士修道会の支援を受けたものの、モンゴル軍に決定的な大敗を喫すことになるのです。隣国のフランスもモンゴル軍の手に落ちることは時間の問題ともなったのです。
 
モンゴル軍が、東欧諸国のキリスト教徒に対して行ったジェノサイドや奴隷化は、ヨーロッパ全土に知れ渡っており、フランス国民を含めヨーロッパの人々は絶望の淵にありました(モンゴル軍による犠牲者は8億人とされております)。
 
『聖オルバンス年代記The St. Albans Chronicle』によりますと、このような状況に直面したフランス王ルイ9世(在位:1226年~1270年)は、死を覚悟した母親のブランシェ太后に対し、「天の恩寵はまだ我らにございましょう。お母様。かの民族が、我らのところにやってこようとも、我らが、タタール人と称する人々(モンゴル人)の地に赴くも、同じことでございます。我らは、皆、天国へ行くのでございます。我らが彼らを殺害しようとも、もしくは、我らが彼らに殺害されようとも、我らは、創造主のもとに行くのでございます。その信仰者として、もしくは、苦痛にある魂の何れかとしてMay the Grance of Heaven sustain us, Oh Mother of mine.  For whether this nation comes to us, orwhether we go to where these Tartars, as they are called, live, it all comes tothe same – we’ll all go to the Heaven.  Wtetherwe kill them or we will be killed by them, we all go to our Maker, either asbelievers or as tourtured soulsThe Tartar Khan’s Englishman,p.180)」と述べたといいます。
 
この言葉に、フランス国民のみならず、多くの国々の人々が、感銘を受け奮起することになるのですが、果たして、モンゴルのヨーロッパ侵攻が停止するという‘奇跡’が起こります。それは、同年にオゴデイ・カアンÖgedei Khanが死亡したため、それに伴う新たな大ハーン選挙に参加するためとってバドゥが、モンゴルの地に引き返したからです。すなわち、オゴデイ・ハンは、1241127日に「大猟」を催し、同月10日にウテグ・クラン山というところで幕営して深夜まで飲酒に興じ、翌朝、12411211日に寝床で絶命していたといい、謎の死を遂げてしまうのです。
 
このようなオゴデイの頓死が、フランス王の起こした奇跡として、ヨーロッパの人々に認識された可能性はあります。イルミナティーは、本ブログで再三にわたって述べておりますように、モンゴルとの結びつきの強い秘密結社であり、モンゴル帝国の復興を目的に活動しておりますので、フランス王家をめぐるこのような対モンゴルの精神的支柱という歴史的役割や‘奇跡’を嫌い、フランス王家を滅ぼしたと推測することができるのです。

 
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(続く)